それでも貴方に生きていてほしかった




「これ以上の延命措置は無理です」

静かに告げられた言葉。重く沈殿し浮上することのない、無慈悲な響き。
どこか遠い現実のことのように、その言葉を聞いていた綱吉は、言葉の意味を理解することに数秒の時間をかけ、言葉の意味を理解してしまった後には、ぎりりと歯を食いしばった。










六道骸の本体は復讐者の牢獄から解放された。
ボンゴレ十代目の積極的な働きかけと根気強い交渉の結果、牢獄に幽閉されてから七年間のときをへて六道骸の身体は自由の身となった。
当然、その自由にはいくつかの条約と枷がつけられることになる。
けれどそれでも、いままでに骸がしてきたことの数々を鑑みれば解放されたことは奇跡と呼んでもよかった。ありえない、と頭の固いボンゴレの重役たちは声をそろえたし、綱吉本人すら復讐者が骸を解放すると告げてきたときは耳を疑った。
けれど、その理由はすぐに思い知らされることになる。










「骸・・・っ。骸!」

白いシーツの上に横たわる、衰弱しきった身体。元々色白だった骸の顔色は、今では青白く本当にその顔の下に血が通っているのか疑わしいほどに色がない。痩せ細った手足は痛々しく、水牢での七年間がいかに過酷なものだったのかを告げている。
その弱りきった骸を寝かせたベッドに寄り添いながら、綱吉は懸命に骸の名を呼んだ。けれど、返される答えはなく、力なく横たわる骸は硬く瞳を閉じたまま荒い呼吸を繰り返すだけだ。

開放された六道骸の身体は、七年間の間に弱り果て、いつ衰弱死してもおかしくなかったのだ。

復讐者があっさりと骸を手放した理由。それは、すぐに死ぬことが確定的に決まっていたからだ。
いずれ死ぬならば、目の届かぬ場所にいても問題はないと断じたからだ。
骸を引き渡されてすぐにそのことを悟った綱吉は、怒りで目の前が真っ暗になる感覚の中、それでもかろうじて残っていた理性で振り上げかけた拳をおろし、骸の延命措置に取り掛かった。
この時代、最高峰と呼ばれる医学と医術を結集させ、ボンゴレ内外から文字通りかき集めた名医たちに骸の延命を命じた。

けれどそれは、徒労に終わる。

「ボンゴレ十代目・・・これ以上は」
「嘘だ!信じない!!信じないっ、骸・・・骸、骸!」

握り締めた拳は、掌に爪が食い込んで痛いはずなのにそんな痛みカケラも感じはしない。どくどくと、早鐘を打つ心臓の方がもっと痛くて、ずきずきと胸を締め付ける痛みの方が強くて、他の痛みなんてどうということはなかった。
強く頭を振って、医師の言葉を否定する。そんなことで現実が覆るはずもなかったけれど、受け入れろというにはあまりに残酷だった。
視界が霞む。じわりと浮き上がってきたのは、なんのための涙なのか。死に逝く骸への追悼か?冗談じゃない!
取り乱す寸前の綱吉の後ろに、それまでなかった気配が出現して、ぽん、と肩に手を置いた。

「落ち着け」
「り、ぼーん・・・」

黒い帽子を目深に被った家庭教師の出現に、はっと我に返った綱吉は視線を伏せて唇をかみ締めた。
ぎりぎりと拳を握りこんでうなだれる教え子の姿を一瞥したリボーンは、酷く落ち着いた声音で語りだす。

「お前は、骸に生きてほしいか?」
「そんなの当たり前だろっ」
「骸が生きるためなら、どんなことでもするか?」

そんなの当たり前だろう!繰り返そうとした言葉は、リボーンの鋭い眼光に気おされて言葉にならずに喉元に押し留まる。視線だけで人を殺せそうな眼光を正面から受けて、綱吉は目を見開いた。この言葉、この視線、もしか、するならば。
超直感に訴えかける感覚。気づけば、リボーンの肩を両手で強く握り締めていた。

「あるんだな?!骸が死ななくてすむ方法!」
「ある。・・・というより、これは賭けだ」
「それでもいい!なんだっていい!骸が、生きていてくれるなら!」

俺は、なんでもしてみせるから!
言葉にしなかった叫びは、それでもリボーンには届いたのだろう。必死の形相の綱吉に、軽く息を吐き出したリボーンは綱吉につかまれた手を振り払うと握り締めた拳を突き出した。
ゆっくりとした動作で握った掌を開く。まだ綱吉よりも小さい掌に乗っていたのは、一つの弾丸。恐らくは、特殊弾。

「これ、は・・・?」
「男を女に、女を男にする、特殊弾だ」

どういうことだと説明を求める視線を向ければ、リボーンは淡々と言葉をつむいだ。

「骸の身体はもう駄目だ。もたねぇんだ。だが、この特殊弾は身体の構造を殆ど一から変える。たとえるなら不死鳥みてぇな作用だな。一度死んで灰から生まれ変わる。そこまではいかないが、この特殊弾を打ち込めば骸の身体は体構造を変えることができる。そのリスクとして女になっちまうわけだが」
「骸は、助かる・・・?」
「元々、男の身体より女の身体の方が痛みにはつえーんだ。助かる確率は上がるだろう。まぁ、失敗すれば特殊弾の反動で死んじまうが、どのみちこのままでも死ぬ。お前が決めろ」

一件冷たく聞こえる言葉。けれどそれは、実際には優しい問いかけだった。
なぜなら、答えなど最初から決まっている。

「万分の一でも、骸が助かる可能性があるなら、俺はそれに賭けるよ」

誰よりも大切だから、本当は不確定要素の強い方法なんてとりたくない。それでも、なによりもかけがえのない存在だから、死なせないために出来ることは何でもしよう。
くしゃりと不恰好に微笑みながら、リボーンの手から特殊弾を受け取る。殆ど使うことはなく、お飾りになっていた拳銃を手にとって特殊弾に詰め替える。

「いいのか?俺がうってもいーんだぞ」
「ううん、これは、俺がしなきゃいけないと思うから」

勝手な判断をした綱吉を、きっと骸は怒るだろう。
でも、それでいい。
これは、綱吉のわがままなのだ。エゴなのだ。
死なせたくないから、死んでほしくないから。
だから、多分骸のプライドをずたずたに傷つけることになることを、今からする。
赦されなくていい、怒られていい。嫌われたっていい。
だって、それでも。



―――生きていて、ほしいから



静かに構えた拳銃。鈍く黒く光る銃口が確かに骸に向き、静かに火を噴いた。










最初に感じたのは、酷くけだるい感覚だった。
手足が鉛のように重くて、思うように動かない。寝返り一つさえ自由に打つことはままならず、うっすらと開いた瞼の隙間から溢れる光がまぶしかった。
ゆるゆると、ゆるやかな意識の上昇。それに伴うようにゆっくりと瞼を開いた骸は、瞼を開いた瞬間に飛び込んできた顔に、酷く驚いた。

「骸・・・!」

感極まったような声。僅かにだけれど震えている声音。
聞き覚えのある声は、目の前の彼から発せられたものに間違いはなく。なきそうに顔をゆがめている彼に、骸は思わず苦笑した。

「なんて・・・顔、を」

しているんですか。言葉にならなかったのは、うまく言葉をつむげなかったからだ。言葉が喉の奥に絡まるようにして、音にならなかった。けほ、と軽く咳き込めば涙をうっすらと瞳にためた綱吉が慌てた様子で医師を呼んでいる。
その姿を横目で見ながら、骸は真っ白な天井を仰ぎ見てこれが現実なのだと認識した。

(生きて、いる)

自分の体のことは、自分が一番わかっている。
水牢の中、弱り果て死に逝くはずだった。それがどうして、いまこうやって綱吉の傍にいるのか。わからないわけではない、予測は容易かった。
それを、どう感じているのか。骸は酷く不思議な心境だった。単純に解放されて嬉しいというのとも違う、マフィアに借りを作ったと悔しく思うこととも違う。あえていうなら、穏やかなのだ。心が凪いだように穏やかで、静かなのだ。それはとても不可思議なことで、笑い出したいほどおかしなことだった。
だが、現実として笑えるほどの体力はなく、同時にどうして生きているのか引っ掛かりを覚えた。
死に逝くはずだった。誰もいない監獄の中、たった一人で。たとえ解放されても、弱り果てた身体は回復を望めず、死に場所が変わるだけのはずだった。
それが、どうして。

生きて、いる。

「・・・・・・っ?!」

ぼう、とした思考でいた骸は、かろうじて動かせた掌を瞼に当てていた。まぶしくて、無意識の行動だったが、違和感を覚えるには十分すぎた。細すぎる掌。それは、痩せ細ったが故の細さでは、ない。
目を見開いて自分のもののはずの掌を凝視する。ついで、ふと、視線を落とせば。
違和感は、決定的なものとなった。

「骸、ほしいものとかないか?水、もってこようか?・・・っ」
「僕の身体に・・・なにを、した・・・!」

がっとつかみあげたのは綱吉の胸倉。どこにそんな力があるのかと、骸自身でさえ不思議に思ってしまう握力でつかみあげる。すさまじい剣幕で怒鳴れば、視線を伏せた綱吉がぽつりと、呟いた。

「・・・生きて、ほしかったから」

生きていて、ほしかったから。

「手段を、選ばなかった」

生きていてくれるなら、なんでもよかったから。

「赦しは請わない。赦してほしいとは、思わない」

全ては、俺のエゴとわがままだから。
赦しは、いらない。

「答えに・・・なっていません、よ」

視線を上げた綱吉の瞳は強い決に溢れていて、こうなればてこでも動かないと骸はもう知っている。弱弱しく呟いて、つかんでいた手を離せば、無理やり起こした身体がふらりと傾いだ。
綱吉に抱きとめられた身体は、酷く細くて、本来ないはずの膨らみと括れがあった。つまるところ、男であったはずの骸の身体は、なぜか女の身体になっていた。

「全部、話すよ。だから骸、横になって」

骸をそっとベッドに寝かせ、綱吉はベッドサイドのいすに腰を下ろした。そして、ココに至るまでの経緯を静かに話し出した。










「そう、ですか。それで」

一回り小さくなったのではないかと錯覚させる掌を見つめて、骸は小さな声で呟いた。命をつなぐための最後の手段だったのだろう。それに対してどうこう言うつもりはない。そこまでして、生かそうとしてくれたことには、感謝の念すら覚える。たとえそれが、骸が望んでいたことではなかったとしても。その心に、素直に敬意を払おうと思う。

「怒って、る?やっぱり」

肩を縮こまらせて恐る恐る、といった風に訊ねてくる綱吉に骸は優しげな笑みを浮かべて否定を示した。

「いえ、それほど」
「・・・ほんと?」
「くふ、僕を誰だと思ってるんですか?六道骸ですよ。幾度輪廻を廻ったとお思いで。女性の人生だってありました」
「え?」
「初めてではありませんからね。それほど動揺もありません」

驚きに目を丸くする綱吉と余裕の笑みを浮かべる骸。対照的な様子にくふふ、と笑みを漏らせば安堵したのか綱吉がほっと息を漏らす。覚悟はしていても、やはり怒られないですんで気が楽になったようだ。

「ところで、犬、千種、クロームはどうしていますか?」
「・・・取り乱すと思って、骸の容態は伏せて別室で待機させてるよ」
「賢明な判断ですね」

骸第一の三人がおとなしくそれを了承したのかどうかは別問題なのだが、まぁ妥当な判断だろうと骸はうなずいた。あの三人のことだから、死にかけの骸を見るなり半狂乱になるだろうし、ことの裏側を悟れば復讐者に殴りこみをしかねない。
あとは、女になってしまったことをどう説明するかだ。骸はしとしとと雨のふる窓の外を仰ぎ見てため息を吐き出した。
その、刹那。

「っ」

何かが弾けるような感覚。
言葉には言い表せない、違和感。酷くざわめく胸。どくどくと、心臓の音がやけに大きく聞こえる。

「骸?」

異変を察知したのか、気遣わしげな綱吉の声が骸を呼ぶも、それは右から左に聞き流される。
違和感が、ある。どうしようもない違和感が。つながっていた糸が撓む感覚。砕け散る寸前で、静止した画像。均衡が、崩る。それ、は。

「綱吉、くん」

喉が、からからに渇いている。焦燥が胸をかき乱す。こんなこと、らしくないと分かっている。常に余裕の笑みを浮かべる存在であるはずの、六道骸がこれほどまでに狼狽するなど、らしくない。
それでも、原因を確かめるまで、この胸の焦燥は止まらない。

「僕を女にした特殊弾、女性が使えば男性になるんでしたね・・・?」

視線は、徐々に雨脚の強くなり始めた窓から外れることはない。
窓を叩く雨粒が、激しさを増している。それはまるで、必死に動揺を押さえ込もうとしている骸の心のうちのようだ。

「うん」
「作った特殊弾は、何発ですか?」
「二発、って聞いてる。お前のためと、後は予備に」
「残りの一発は、どこに」
「・・・多分、リボーンが持ってる」

不確定を含んだ言葉に、骸は押し黙ると一言だけ「そうですか」とつげた。諦めを含んだように聞こえたその言葉に、どうしたのかと綱吉が問いかけるよりも早くガラリと医務室の扉が開いた。

「誰だ?!」

鋭い誰何の言葉は、この部屋に入ることをまだ他の誰にも許可を出していないからだ。勢いよく椅子から立ち上がった綱吉が見たものは、見慣れた、黒いコート。Tシャツに、ネクタイという独特の格好。骸が、好んで着ていた服装。

「むく・・・ろ・・・?」

ありえない。その響きを含めた呼びかけに、ピクリと黒のコートをまとった人物の方が揺れる。下げられている視線。綱吉の瞳に移るのは、特徴的な後頭部だけだ。ぽたぽたと、雨に濡れたのだろう髪から雫が伝って床をぬらす。

「・・・・・・・・・ボス」
「っ。クローム?!」

ゆるりと上げたその顔には、右目を覆う眼帯。それだけで、誰なのかなど、わかってしまう。わかって、しまった。
どこをどう見ても、男物の格好。それを、着崩すことなく身に纏いサイズもぴったり。なにより、その胸元には本来あるべきふくらみがない。
超直感がなくとも、骸の先ほどの言葉と、この現状。クロームが何をしたのかなど予想にたやすい。
絶句する綱吉の前を通り過ぎたクロームは、静観していた骸のベッドの前で膝を折った。

「骸、さま」

そっと、手を伸ばして雨に濡れて冷たいクロームの頬を撫でる。女性特有の柔らかさはない、頬の感触。男になってしまったのだと、再確認させられて、骸はくしゃりと泣きそうな笑顔で笑った。

「・・・・・・馬鹿な、ことをしましたね」

ふる、と一度だけ振られた頭。否定を示す動作をしたあとで、クロームは骸の手に左手を添えた。

「これで、骸様を護れる、から」

後悔は、ないの。
静かに言い切られた台詞。確固たる決意の表れ。強い決意に煌く瞳。

それは、覚悟の証。

「クローム」

たまらなくなった骸がクロームに抱きつけば、がっしりとした身体が華奢な骸の身体を支える。逆転してしまった。もう、二度と元には戻らない体格差。

「これからは、私が・・・僕が、骸様を護る」
「もちろん、俺も」

言い直した一人称は、もう後には引かないという想いの具現だ。
強く抱きしめられて多少息苦しく感じながらも抱きしめ返していた骸は、翳った視界に綱吉の姿を認めて淡い笑みを零した。

「護られるだけというのは、性に合わないんですけどねぇ」

それでも、この二つの想いと決意は嬉しいと思うから。
今だけは、抱きしめられるこの立場に甘んじてもいいかと、思ってしまう。
















2008/04/8