僕は君を想いながらも、僕自身のために君を傷つけ続けている.
「ふぁ……」
チチチ、と小鳥のさえずる声が聞こえて僕は目を覚ます。眠りは元々浅い方だけど、あまりにも小さな物音にまで反応して起きてしまうものだから(それは暗殺されないための自己防衛の本能の名残だろう)クラブハウスで生活していたとき、ルルーシュに知られてしまったときは随分と心配された。
そのときには、自分の眠りが浅いこともその理由も知らなくて、普通は違うのだと聞かされてきょとんとしたものだ。ルルーシュはミレイさんと相談してあれこれ対策を立ててくれたり安眠グッズをプレゼントしてくれたけど(前者がルルーシュで後者がミレイさんだ)結局改善されることはなかった。
(でも、ルルーシュの傍は、眠れたんだよ)
ルルーシュの傍は不思議と安心できて、ルルーシュがどんなに物音を立てても起きることはなかった。気づいたとき僕は驚いて、ルルーシュは喜んでいた。ものすごく喜ぶものだから、驚きもそこそこに大袈裟すぎるよ、と苦笑したほどだ。
今の僕の状態は、過去のどれとも違う。人のいない環境。人を寄せ付けない空間。人に混じらない生活。
そこにルルーシュの傍のような安心感はないけれど、人にまぎれて生きていくよりはよほど神経をすり減らさないだろうと思う。睡眠時間の長さだけなら、僕の今までの人生でこの十年余りが一番長いだろう。
なにしろ、日が暮れればすぐに寝る生活だから。
「んー」
ぐいっと腕を上に上げて背を伸ばして、身体をほぐした僕は今日何をしようかと考える。……とはいっても、僕のやることなど毎日同じで、順番が少し違うだけだ。花の水遣りが先か、野菜畑の水遣りが先か、その程度。
朝ごはんを食べながら考えようかな、そう思いベッドから立ち上がった僕は、ふと顔を玄関の方へ向けた。
視界に映るのは、なんの変哲もない、昨日と変わりのない扉だ。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、僕はふぅ、と息を吐き出した。
「珍しい、お客さんだ」
僕の言葉に反応するように、立て付けの悪い扉がギィと鈍い音を立てて開かれた。
一気に部屋の中を照らし出した、朝日がまぶしい。目を細めて、逆光の中佇む人影を視界に入れる。身長はさほど高くない。細身で、すらりとしたシルエットだ。
僕が声をかける前に、その人影は一歩足を踏み出した。
「不法侵入だよ」
まだ僕は、家の中への進入を許可していないから、僕が訴えればそれは立派な犯罪だ。からかい混じり、半分本気の按配で気安く言葉を発せれば、逆光から抜け出した人影がにやりと笑みを浮かべた。
「私を裁けるものなど、この世界のどこにもいはしない」
高慢で自信満々な居丈高の物言い。それは、まぎれもなく。
十年近く、会っていない魔女のものだ。
「久しぶりだね、C.C.」
予感は、していたよ。にこりと微笑んだ僕はC.C.よりも目線が高い。十年前とは、明らかにかわった視線の高さ。僕はどうやら身長が伸びたらしいと、十年前と外見は全く変わらないC.C.を見下ろして、この場に相応しくないことをかんがえた。
現在の僕の家に部屋は一つしかない。リビングとキッチンと寝床は全て同じ空間になる。さらにいえば、僕の一人暮らしの環境は世間的に見てあまりいいものではないと思う。僕は全然気にしないのだけれど。
とりあえずC.C.を普段僕がご飯を食べるのに使っているテーブルの前にある、この家唯一の椅子に案内した。
僕自身はキッチンに立って、C.C.にだすお茶のためにお湯を沸かしている最中だ。
「お前がルルーシュを墓に入れたとは、以外だったぞ」
前触れもなく切り込んできたC.C.の言葉に、不覚にも一瞬呼吸が止まった。この十年余り、ルルーシュの名前を人から聞いたことはなかった。
いや、耳にすることはあったのだろうけれど、僕がそれを認識することはなくて。だから、とまった呼吸を戻すのに、刹那の間僕は並々ならぬ努力を強いられた。
「君の中の僕のイメージはどういうものなのか聞いてみたくなるよ」
「ルルーシュに関しては、理解を超えるな」
「すごいいわれようだ」
「まぁ、ルルーシュのお前に対する執着も、相当なものだったがな」
あっさりと放ったC.C.の言葉に苦笑する。はっきりものごとをいうところは、外見同様変わっていないらしい。
「お前は、ゼロレクイエムその成就の瞬間を、みたか」
その言葉には、特別な反応を抱くことはなかった。穏やかな笑みを口元に佩いたまま、僕は沸騰したお湯の入った鍋を手に取った。
「僕は眠っていたんだよ。見られるはずがない」
「映像記録は、嫌になるほど残っているだろう」
世界が壊れ、生まれ変わったその瞬間。
パレードは盛大で、世界中に生中継で放送されていた。それも、ルルーシュの計画の一部。
映像は、残っているだろう。残っていないはずがない。だって“見せしめ”の“憎しみの象徴”は後世に確かな記録と共に語り継がれなければ、意味がない。一世代で終わってしまっては、無意味だ。
かちゃかちゃと、小さく物音を立てながらオレンジティーを淹れた僕はC.C.の問いには答えない。C.C.もそれほど回答を期待していたわけではないようで、僕から視線を逸らすと部屋の中をしげしげと眺め回した。
「それにしても、随分殺風景だな」
「そうかい?必要なものは一応揃っているよ」
「チーズくん人形がない」
「それは各家に必ず一つある必需品じゃないよ」
本当に相変わらずな物言いを軽く流して、久しぶりに淹れた紅茶をC.C.の前に運ぶ。残念なことに、この家にはコップも一つしかないので、僕の分はなしだ。お茶請けなんてものもあるはずがなく、紅茶を置いて手持ち無沙汰になった僕は、先ほどまで横になっていた簡素なベッドに腰掛けた。
ぎしり、と馴染みのベッドが沈み込む鈍い音が耳朶に届く。
「はい。味の保障はしないけど」
「なんだ、不味いのか?」
「茶葉と水は最高のものだけど。淹れたのが僕じゃね」
テーブルを挟んで正面にいるC.C.からちらりと視線を受けて、肩をすくめてみせればC.C.は無言で紅茶を一口飲んだ。
そして、一言。
「不味い」
「やっぱり?」
「お前の言葉通り、茶葉は悪くないのかもしれない。だが、不味い」
二回も断言されて、流石に僕もちょっと凹む。
皇帝だったときはもちろん、皇子だったときも、クラブハウスで暮らしていたときも、僕は紅茶を淹れたことがなかった。なれてないのが丸分かりの僕の危なっかしい手つきに、ルルーシュや佐代子さんが紅茶を淹れさせてくれなかったからだ。
なので、この場所で暮らしだしてから見よう見まねでいれた紅茶は本当に美味しくない。美味しいに越したことはないが、僕はあまり食事の味に拘らない方だ。その僕が、不味いからという理由で紅茶を飲むのを諦めるほどだから、相当なものだ。
「で、飲みもしない茶葉がどうしてある」
「紅茶の種類、理由は分かるだろ?」
「……匂いが飛んでて紅茶の種類すら分からん」
コップに顔を近づけて匂いをかいでいたC.C.の言葉に、それほど酷いかと僕は顔を顰めた。
それでもC.C.はなにもいわないから、本当なのだろう。がっくりと肩を落として、キッチンに戻り、物の少ない台の上から一つのビンを持ち上げる。ラベルも何も貼ってない、透明なビン。中には僕が全く使わないせいで、ぎっしりと茶葉が詰まっている。
「これだよ」
C.C.に手渡せば、C.C.は何の変哲もない透明のビンをしげしげと眺めた後、ビンの蓋を開けて茶葉を少しだけつまみ出した。暫くそれを眺めて、ビンの中の香りをかぐ。
そしてようやく、ああ、と頷いた。
「オレンジか」
「そう。季節はずれのサンタさんが、いつも来てくれるんだ」
ちなみにそのサンタさんは、プレゼントを靴下の中じゃなくて玄関の前にそっと置いていく。間隔は一年じゃなくて一週間に一回。プレゼントの中身は紅茶だけではなく、保存のきく食品に肉や魚に米に服までくれる。主婦ならたまらないサンタさんだ。
「そうか」
柔らかく微笑んだC.C.は、サンタさんの正体を見破ったのだろう。僕だって、始めの一回でだれかなどわかっている。僕にこんなことをするのは二人しかいなくて、僕が受け取るのは一人だけだ。
誰かは分かっているけれど、送り主が名乗らないので勝手に“季節はずれのサンタさん”と命名させて貰ったのだ。
実を言えば、今来ている服も、この家の周りに咲いている花の種や育てている野菜の苗も、全て季節はずれのサンタさんからの贈り物だ。今僕がこうやって市井に混じらず生活していられるのは、全てはその人のおかげ。頼り切っていると、自分でも思う。
それでも、甘受し続けているのは、僕に市井に戻る意思がないからだ。
「なぁ、ライ……お前は、いつまでこの生活を続けるつもりだ?」
僕の考えを見透かしていたかのような問いかけに、一瞬だけ瞠目する。C.C.をみれば、彼女は真っ直ぐに僕を見据えていて、居心地が悪くなって視線を逸らした。C.C.が、ため息を吐き出す。
「……言い方を、変えよう。ライ、お前はいつまでルルーシュに縋っているつもりだ」
「っ」
息が、詰まる。C.C.の言葉が、ぐさりと胸に突き刺さって、未だに膿んでいる傷口に塩を塗られているかのようだ。呼吸を止めた僕を見つめながらも、C.C.は言葉を緩めることはない。糾弾は、止まらない。
「一体いつまで、ルルーシュに依存しておぶられている気だ。いい加減にしろ。前を見ろ。進め、お前の道は、まだ途切れていない」
「しー、つ」
「お前は立ち止まっている。過去に縋り、記憶に縛られ、自分に囚われている。それを人は、幸せとは呼ばない」
「……しあわせ、なんて」
「いらないとはいわせない。ルルーシュは、お前の幸せを願っていた。お前は、あいつの望みを無碍にはできまい?」
にやりと口角を吊り上げたC.C.の笑みは、確信犯のものだった。
僕は、ぐらぐらと揺れて頼りない視界の中で、それだけははっきりと視認して唇を引き結んだ。頭が痛い、息が詰まる、胸が痛い。
苦痛を訴える身体は、けれど動くことを許さない。微動だにしない僕に、C.C.はさらに言葉を重ねた。
しかし、その声はそれまでの雰囲気に似合わずあまりにも優しかった。
「中途半端に、あいつに負ぶさるな」
「……」
「依存するならば、とことんまで縋りつけ。みっともないと、笑うことも出来ないほどに。私などが、口すら出せないくらいに、ルルーシュに尽くして見せろ」
あいつを、理由に逃げるな。
そう締めくくったC.C.の言葉は驚きで、僕は瞳を大きく見開いた。なにかいおうと、口を開きかけて、結局何も発することのないまま、僕は口を閉ざした。はたから見れば、随分間抜けだろうに、C.C.はくすりとも笑うことをせず、真剣な眼差しで僕をねめつける。それはすでに、睨んでいると言っていい。けれど眼光に敵意はなく、鋭さの中には思いやりがあった。視線はただ、僕の答えを待っている。
沈黙が横たわる。僕は応えなければと思うのに、思考がぐちゃぐちゃでなにもいえなかった。だって、どうして反応できるだろう。季節はずれのサンタさんが、時折運んでくるアッシュフォード学園の生徒会のみんなからの手紙。そこに綴られるのは、自身の近況と、僕への気遣いと……ルルーシュを、忘れなさいと、言う言葉。
はっきり忘れろと文面に書かれたことはない。それでも、遠回りにやんわりと、自分の幸せのために生きろとみんなが言う。口をそろえて、言うのだ。
そんな中、初めて言われた言葉。
ルルーシュのために、生きろ。
それは、僕がどれほど求めて焦がれて望んだ言葉だっただろう。
喉から手が出るほど、欲しかった。けれど、自分から手を伸ばすことは、できなかった。ルルーシュが、彼が、望まないと知っていたから。僕のその選択は、彼を悲しませるとわかっていたから。
だから、僕は今日この日まで中途半端に生きてきた。
ルルーシュとロロの墓から、少し離れた、でも毎日通える距離の場所に住み着いて、彼らに毎日会いに行って、でもその一方で自分の為に作物を育てた。育てることに、喜びを見出そうとした。ルルーシュのためだけに、生きているわけじゃないのだと、主張するかのように。
気がつけば、あたり一面を覆う花畑と一人ではとても食べきれない量の野菜を育てていた。毎日が水遣りや草むしり害虫駆除で忙しかったけれど、淡々とこなすだけの作業は機械じみていて、楽しいと思ったことはなかった。
僕は、ルルーシュの為に、生きていいのだろうか
C.C.の言葉に、ようやく心の中でそう思った。C.C.が、許してくれる。それは、彼への免罪符になりうるのか。
僕の瞳が揺れたのを見てか、C.C.は最後とばかりに言葉を重ねた。
それは、C.C.から僕へのギアスのようだと、僕は感じた。
「ルルーシュの為に、お前の残りの人生全てを捧げて見せろ」
ぽろり、と。
この十年、ずっとずっと焦がれ欲し望んだものがようやく許されて、僕の頬に透明な雫が伝った。呆然とする僕の頬をぬらしたもの、それは十年間決して流すことのなかった涙だった。
ルルーシュ、僕は僕の為に、君の為にと生きてもいいのだろうか
結局僕は、自分のためにしか生きることは出来ないみたいだ。
(君の為に、君を忘れて生きることは出来そうにない)
2009/11/12