彼を誰より想う君は、彼を誰より理解していながら、それでも彼の真意にだけは目を背ける




ライの背中を見送って、僕は力なく視線を伏せた。
正確には、見送ったという言い方は正しくないだろう。僕は、置いていかれただけだ。見捨てられただけなのだ。
最後まで、動揺を隠しゼロを演じ続けたなら、ライは見捨てないでいてくれただろうか。この場にまだ、留まっていてくれただろうか。
もし、を考えて、考えてしまった自分に嫌悪する。これから僕が進む道に、もしなどというものは存在しない。そんなものを考えてはいけない。
掴み取るものも、歩む道も、決して間違うことは許されない。
理解していたはずのその難しさを、早々に突きつけられたようだった。

「なんだ、ライに振られたのか」

すべらかな声がして、聞こえてきた方角にのろのろと顔を動かせば、そこには済ました顔のC.C.がいた。彼女とはこの二ヶ月間で、大分親しくなったと思う。とはいっても、彼女は僕に対しては“傍観者”という立場を貫いているけれど。

「振られる以前に、見向きもされていないよ」
「そうかな?学園にいた頃のライは、それなりにお前を気にかけていたが」

ふふ、と口角を上げるC.C.に、僕は小さくため息を吐き出した。彼女を「魔女」と呼んでいたルルーシュの気持ちが、なんとなくわかった。

「それで、いつからみてたの?」
「心外だな。まるで私が盗み見していたかのようだ」
「実際そうだろ」
「違うな。私は見守っていただけだ」
「……そう」

結局同じことだろうと、じとりとした視線を送れば、C.C.は小さく肩をすくめて、ライが立ち去った方角に視線を向けた。

「ルルーシュは、ずいぶんな大物を持ち去っていったな」

皮肉でもなんでもなく、ただ事実を確認するように。C.C.は口にした。

「あいつのほうが、よほど“ゼロ”には向いているだろうに」

一時の栄華とはいえ過去において、皇帝として国を未曾有の発展へと導いたこと、ルルーシュに決して引けを取らないその頭脳、スザクとさえ張り合う身体能力。どれをとっても、申し分なく。
きっとこの世界の誰よりも、ライはゼロに成りうる人物だ。
比較対象として僕では足元にも及ばない。それは僕だって承知している。それでも、ライをゼロにしないのには理由がある。

「それは、ルルーシュとの協定違反だ」
「私は事実を言ったまで。ライにゼロになれなどとは、口が裂けてもいわないさ」

ルルーシュとの、協定。数あるその中で、ルルーシュが最も拘った事項。
それは“決してライをゼロにしないこと”だった。

「だが、ルルーシュの判断は正しいだろうな。今のライはあまりにも危うい。一歩間違えば、ルルーシュとは違う意味で世界を壊しかねない」

たとえ、ライをゼロにするなといったルルーシュの真意が違うところにあったとしても。
ルルーシュの判断は正しいと、C.C.は断じることができる。数多の人間を見てきたからこそ、ギアスという超上の力を間近で見続けたからこそ、言い切れる。
そしてそれには、僕も同意見だった。

ライが道を一歩謝れば、世界は確実に崩壊するだろう。

僕や、他の誰にも止められない手段で、ライは世界を壊しにかかる。破滅への引導を、確実に渡してくる。
最初、ルルーシュが僕にそういったとき、正直僕は半信半疑だった。僕の知るライは、どこかぽやっとしていて天然で、記憶を失っていたせいからか常識からちょっとずれていて、常に周りに気を配る、とてもとても、優しい子だったから。
半信半疑だったけれど、否定することはなかった。理由は簡単すぎる。ナナリーが、ルルーシュに刃を向けたから。フレイヤを、撃ったから。
ギアスに強制されなくとも人は簡単に変われるのだと、身をもって知ってしまったからだった。
そして今、ライと話して、疑心は確信に変わった。
言葉は冷たく凍てついて、氷よりも温度は低かった。平らな声音は聞いているだけで寒気がして背筋が凍った。シャルル皇帝の何倍も、恐ろしかった。
ライの生い立ちは、ルルーシュから聞かされていた。何かあったときに対応できるようにと。
ルルーシュはライの許可を取らず僕に話すことを相当ためらったようだったけれど、ライはギアスで眠り続けていて許可などとりようがなかったし、最後には世界のためだと割り切ったようだった。
あれが、狂王とまで呼ばれた皇帝。国を栄華へ導いた、指導者の姿。

「ギアスが、なくても」
「うん?」
「ライもルルーシュも、皇帝になれた」
「そうだな」

二人とも、ギアスの力に翻弄された。最初は望んで手に入れたかもしれない。でも結局、誰よりギアスを憎んでいたのもあの二人だっただろう。それこそ、僕よりも。
翻弄され、弄ばれ、運命を狂わされた。だからこそ、二人はギアスを使い世界に抗い、ギアスのない世界を望んだ。
矛盾していると、思う。
でも、同時に、どうしようもなかったのだと、今なら分かる。

「C.C.」
「なんだ」
「ルルーシュとの、約束、守れなかった」
「ほう“協定”ではなく“約束”か?」
「ああ」

ルルーシュとの、約束。
幼い頃に、交わした約束は沢山ある。アッシュフォード学園でも、約束を交わした。
けれど、皇帝と騎士、その関係になってから約束したことはたった一つだけ。







「ライを、泣かせてやってくれ」

それは、約束という名を借りた、願いだった。
ギアスは、願いに似ていると、後でそういったルルーシュの、ギアスではどうしようもない、願いだった。

「人は、弱くとも強い生き物だ。どんなに愛する大切なものが死んでも、人は耐えることが出来る。深い絶望の奈落のような悲しみさえも、乗り越えることが出来る」

王宮の庭で、湖のほとりに座り込んだルルーシュが、頬を優しく撫でる風に身を任せながら、僕に言った。

「けれどそれには、いくつか条件がいる。その一つが、声を上げて大泣きすることだ」

そうかもしれない。そう思って頷いた。ルルーシュの一歩後ろに、騎士の位置に立って、僕はただ黙ってルルーシュの言葉を聴いていた。

「ライは泣かない。俺が死んでも、泣かないだろう。ライは知っているからな。人は泣いて喚いて、そうやって心を整理して前に進む生き物だと」

何しろ、俺にそういって、泣けと迫ってきたのは誰でもないライなんだ。
そう言って、優しく目を細めて、愛しげに頬を緩めて、少し照れくさそうに視線をはずして、苦笑したような口調で言ったルルーシュは、きっとそういって迫ってきたライに縋り付いて泣いたんだろうと思う。

「だからこそ、ライは泣くことを良しとしない。俺が死んだなら、決して泣かず、記憶を思い出に変えることを許さず、背負って、生きていこうとする」

それはすごく、悲しいことだね。
ぽつりと呟いた僕に、ルルーシュもゆっくりと頷いた。

「俺は、ライに生きて欲しい。けれどそれは、俺に縛られて生きることと同義ではない」
「君は、ライを愛しているのに?」
「だからこそ。相手の幸せを願うものだろう」

今までずっと縛られ続けてきたライだから、今度は何者にも縛られず、残りの人生を謳歌して欲しいのだと、ルルーシュは、僕が泣きそうになるほど優しい声でいった。

「だから、スザク。これは、俺からの個人的な願いだ。……ライを、救ってくれ」

俺に縛られ、生きようとするライを、泣かせてくれるだけでいい。人間は強いから、ライは弱くないから、きっとそれだけで、前を向いて生きていけるようになる。
切なる願いを、跳ね除ける理由などなく、ライは僕にとっても大切な友達だったから、僕は迷いなく頷いた。

「約束するよ、ルルーシュ」
「ありがとう」

微笑んだルルーシュは、きっとその難しさを知っていて、それでもライを自分から解放させたくて、僕に無茶だと知りながら、頼んできたのだ。

いまなら、そう理解できた。







「お前は約束を破るのか?」
「破りたくないよ。でも……正直、僕じゃ役不足だ」

きっともう、二度とライは僕の前には姿を現さないだろう。そんな確信があった。ライは僕のゼロをゼロとは認めない、ライにとってのゼロはルルーシュのゼロただ一人で、どんなに僕がルルーシュのゼロそっくりに振舞っても、決してライは認めることはないだろう。
果たせそうにない約束に、内心どうしようか困り果てていると、C.C.がふん、と鼻を鳴らした。

「すぐに諦めるのは男の悪い癖だ」

そしてくるりと踵を返すと、この二ヶ月間、ずっと好んで着続けていた拘束服をおもむろに脱ぎだした。

「え?!ちょ、なにやって・・・!」
「見たければ見ればいいだろう。今日は特別だ。閲覧料はとらん」
「見ること前提なの!?」
「見たくないなら見るな」

そこらの男より男らしい発現に、ああ彼女はまぎれもなく数百年のときを生きた魔女なのだと思い知る。すごすごと視線を逸らした僕の耳に、ごそごそ音を立てながらどうやら拘束服を全て脱ぎ終わったらしいC.C.の声が届く。

「そうだな。十年お前ががんばって、それでもダメだったなら、私がその約束、引き受けてやろう」
「長すぎない?せめて三年にして欲しいな」
「馬鹿をいうな。人生八十年だぞ。十年程度消費したところでどうということはない」
「普通の人には大問題だよ」
「あいにく私は普通ではないんでな。普通の感覚は分からん」
「そう・・・」

この様子だと本当に十年たつまで手を貸してはくれないのだろう。貸して欲しい、と頼むつもりはあまりなかったけれど。だってルルーシュと約束したのは僕だから。僕が守りたい。それは、ちっぽけな自尊心。世界の前では、笑えてしまうほど、小さすぎる僕の姿。

「C.C.?」

またごそごそと音を立て始めたC.C.にいぶかしんで、そろりと視線を横に流せば、どこからだしたのか、赤いスカートと白いブラウスを着たC.C.がそこにいた。帽子も被って、愛用のチーズくんの人形もまでもっている。
目を丸くする僕にC.C.はなんでもないことのようにいった。

「旅に出る」
「その格好で?」
「無論」
「お金は?」
「だせ」
「……ピザは?」
「食べるに決まっている」

どこまでも唯我独尊な性格だ。
ああもう、とため息を吐いて手を差し出すというよりも突き出しているC.C.に懐から出したブラックカードを渡す。世界中、どんな国でも使えるそれは、ルルーシュがこのC.C.の行動を見透かして用意していたものだ。ちなみにお金はどこからか知らないけれど、半永久的に振り込まれ続けるシステムらしい。

「ルルーシュから伝言『毎月振り込まれる金額は決まっている。計算して使え。前借などはできないからな』って」
「なんだ、けちくさい男だな」
「君、すごく浪費しそうだからじゃない」

実際浪費癖のあるタイプだ。こと、ピザに関しては。
ブラックカードを無造作にバッグに突っ込んだC.C.に、これで一人旅など大丈夫なのだろうか、と眉を寄せるが、ルルーシュに出逢うまでは、もしかしたら一人旅をしていたのかもしれない、もしかしたら、こう見えて意外と旅慣れているのかも、と正直自分でもあまりないとおもう可能性を思考して眉間をほぐした。
赤いスカートが視界に踊る。くるりと踵を返したC.C.のせいだ。

「じゃあな、また」
「また?」
「ああ、十年後に」

どうやら彼女の中では、僕が十年間ライを泣かせることができないのは決定事項らしかった。







ねぇ、ライ。ルルーシュの言葉、そのまま伝えたら君は泣いてくれるのかな。
ルルーシュの想いをなにより重視する君なら、ルルーシュの真意を知れば、素直に泣いてくれるのかな。
そう考えると、ルルーシュの言葉を伝えたい衝動に駆られてしまう。でも、そうしないのはね。
ルルーシュよりは短い間だったけど、僕もライと一緒にいたからなんだ。
ライはきっと、ルルーシュが泣いてくれと願っても、泣かないだろうな、って。そう、思うんだ。
泣いて、前を向くことを拒むだろう(それはルルーシュを忘れることと同義だから)記憶が思い出に変わるのを畏れるだろう(自分の中からルルーシュが消えてしまうことに、恐怖を抱くから)心の中のルルーシュを、とどめるのに必死だろう?(どんなに懸命につなぎとめても、死人は少しずつ、自分から離れていく)

だから、ルルーシュの言葉を、君には伝えない。
今の君は、伝えても拒むから。これは、確信に似た予知。

だから、だから。
いつか、君が、ルルーシュ以外に心から笑いかけられる日が来たのなら。
君に、伝えよう。





『ライ、ありがとう』





そういって微笑んだ、ルルーシュの穏やかな笑みと言葉を。





これで一応END。



2009/11/10