認めた心




最近、夢を見るようになった。

それは決まって、同じ夢であり、同じことを繰り返すだけの、つまらない夢だった。

夢の中には自分と他の誰かが居て、ライは自分自身信じられないくらい穏やかに優しく笑うのだ。そして誰とも知れない相手も、緩やかに微笑む。
なんでもない空間、市井の人間だったなら当たり前につかめたかもしれない幸福。ライにとって、最も縁遠く、喉から手が出るほど恋焦がれるもの。
けれどそれも、所詮は夢。夢は覚めるもの。後は残らない。

起きたときには決まってなにも覚えていない。
ただ、掌に優しい温度が残っていて、胸が温かく鼓動を打つ。なにも覚えていないのに、記憶は真っ白なのに、幸せだとかみ締めることはできた。そして、現実に手に入らないことが悲しくて、涙があふれて止まらない。

夢を見る。同じ夢。決まった夢。
まるで過去を繰り返すように、記憶の回想のように自然と心に解けてゆく、幸福な夢。

夢を見る。それは、いつの日からだろう。
永遠に続けばいいと願ってしまう、その瞬間に死んでもいいと思わせるまでに満たされる夢。

夢を見る。
見始めたのは、漆黒の全てを覆い隠す黒曜石のごとき髪と、強い意思に満ち溢れたアメジストの瞳を持つ、彼に出会った日からだった。










ルルーシュの背中が森の木々にまぎれて消えていくのを見届けて、ライは大きく息を吐き出した。

(不思議な奴だ)

戦場に突然現れて、ブリタニア皇族と名乗り、ライへの忠誠を誓う。おかしな男だ。最初は頭が沸いているのかと思った。どんな策謀を張り巡らせているのだと警戒もした。
けれど、ルルーシュがライに向ける眼差しは優しくて、ふとした表情は慈しみにあふれていて、偽りを感じさせない心が心地よかった。
認めたくはなかったが、彼の隣は不思議な安心感があった。知らず知らずの内に安堵している己がいた。なぜだろう、傍に居ることがまるで当たり前のようだと、思ったのだ。絶対的に不利な状況下、なのにルルーシュが駆けつけた刹那に、ライは勝てると確信を抱いた。
だというのに先ほどは、助けてもらっておきながら刃を向けた。それはきっと、最後の抵抗だった。無意識の領域で、ルルーシュの存在を認める己への戒めだった。
だが、ルルーシュはそれに怒るでもなく微笑んで、あたりまえだというように絶対の信頼を向けてくる。戸惑うライすら全て理解していると言わんばかりに穏やかに笑うから、その瞬間ライは気づいたのだ。刃の切っ先に、白銀のきらめく死の輝きに、欠片の殺意も篭めていなかったことに。
戸惑いがあった。ためらいも大きかった。けれど、差し出された掌を握る事に、抵抗はなかったのだ。

「おかしな、男だ」

胸のうちで思っていたことをまた違う言葉に置き換えて、今度は口にする。しかし、嫌味な口調に反して声音は穏やかだった。
誰も信用できない、信頼してはならない。ライを取り巻く環境が、ライの心を頑なに凝り固めていた。だけど、だけど。
もしかしたら、あるいは。ルルーシュなら。

少しくらいは信用しても、いいのかもしれない―――……

戻ってきたのなら、僅かなりとも態度を軟化させよう。まだ完全な信頼を置くにはライの立場が許さないが、それでも。ほんの小さな変化でも、彼は喜んでくれるはずだという確信があった。
ねぎらいの言葉を、彼は受け入れてくれるだろうか。それとも素直に礼を述べたほうがいいのだろうか。
暫しの逡巡。母や妹以外の為に心を砕くことは、滅多になかった。だからこそ迷うライは、けれどそれすら心地良いと感じていた。誰かを疑うより、信頼しようとすることはとても難しいけれど。前者より後者のほうが圧倒的に心は楽だった。疑わずに済むことは、嬉しかった。
他人から見れば分からない程度にだが、確かに口元をほころばせながらライは少しばかり疲れたと、木々に背中を預けた。ルルーシュが手当てを施してくれた箇所が引き連れるように痛んだが、綺麗に切れているしすぐに適切な処置をしたから、化膿する心配はないはずだ。傷だって、すぐにわからなくなる。
吐息をこぼして空を仰いだライは、だがすぐに表情を険しく引き締めて眼前をにらみつけた。ルルーシュが、分け入った森とは間逆の位置。そこから微かに聞こえる足音。草を踏みつける、重い重量のある鎧をまとった兵士の奏でる雑音。
腰に佩いた剣に手をかけて、抜刀するか刹那の間ためらう。脳裏によぎるのは、ルルーシュの顔。……なぜ、だろうか。彼に血なまぐさいものを見せたくないと、思った。

(だが、ギアスは)

先ほど囲まれた際もギアスの力で突破しようと試みた。だが、発動を念じた瞬間に激しい頭痛が襲い掛かり、結果的にはより不利な状況に追い込まれたのだ。
今は頭痛も引いている。傷こそ負っているが軽症で、戦闘に支障をきたすほどではない。普通に剣で戦ったほうが、勝利は確実だった。だが、それでも。

「ライヴァルディア・アラン・ブリタニアが命じる。貴様らは私の視界に入らない場所で自刃しろ!」
「「「イエス・ユア・マジェスティ!!」」」

姿を現した複数の兵に告げた命令は、目の前で血を流すなというものだった。











今度は、なんの問題もなく発動したギアスの力。いったいどういうことなのだろう。理解できず兵が森の中に再び消えていくのを呆然と見送りながら、ライは己の掌を握り締めた。
咄嗟に、口をついて出ていた。それは反射的に、といっていい速度。ルルーシュの姿が脳裏をちらついた次の瞬間には、抜き放つはずだった刃から手が離れて口が勝手に命令をつむいだ。

どうしてだろう。力が発動しなければ、さらなる危険に陥れられていただけだというのに。
なぜだろう。自分ひとりだったなら、絶対に戦うことを選んでいたはずなのに。

そして、唐突に気づく。

ルルーシュは、どう思うだろうか。

この状況に、ルルーシュが気づかないはずがない。想い鎧をまとって踏み荒らされた雑草は、見るものが見ればすぐに分かる。ここまで駆けつけたルルーシュが、ライの危機を救った彼が、気が付かないとは思えない。
ならば、不審に思うはずだ。雑草が踏み荒らされた痕跡があるのに、戦闘の後がない。彼の明晰な頭脳は、どんな予測を弾き出すだろう。

この力を、予想するだろうか。

ギアス。絶対遵守の力。異能の能力。魔法すら凌駕し、魔術以上の脅威を持つこの力を。
ルルーシュは、予知し、そして、どうするだろう。
もし彼がこの力を知ったとき、ライに向けるものはなんなのだろうか。恐れか畏怖か、恐怖か。それならばまだいい。まだ堪えられる。だが、もし、もしも。

拒絶、されたのなら。

その予想は恐ろしかった。足元が、まるでガラガラと音を立てて崩れいくような、滅びる世界にただ一人取り残されたような底知れない不安がライを襲った。
ルルーシュの存在に、それほど揺るがされる道理はない。彼は突然現れた不審者で、ブリタニア皇族の名を語る不届き者で、彼は。
どうして、だろう。
であって数週間しかたっていないのに。つい先ほど、全幅の信頼は置けないと己を戒めたばかりなのに。
まるで、昔から恋焦がれた人のように、誰より何より世界より愛する人のように。そこに在ることが当然であり、居ることが当たり前の事象だった。己は彼なくして己は存在し得ないと断じることができた。

わからない、わからない。わからない。

理解できなかった。理解したくなかった。

ライにとって必要なのは母と妹だけ。あとは、そうだ。エリオスがいれば、全てはつつがなく運ぶ。ルルーシュはいらない。不要だ。そう思うのに。
彼に拒絶されたらと思うと体が震えた。動悸が治まらなかった。過呼吸になったように、息が浅く苦しかった。
ふらりとよろめいた体を支えることはできず、背中にあたる木の幹に体をもたれかからせる。胸を押さえて呼吸を落ち着かせようとして、ライは瞼を閉じた。
だが、落ち着こうとする意識に反して脳はめまぐるしく活動する。この状況をいかにごまかすか、隠し通せるか。計算と確立を弾き出して、すぐに、無駄だという結論にたどり着く。
なによりも、ルルーシュに隠し事を、したくなかった。
理解不能の己の心理。雛が最初に見たものを親鳥と認識するように、刷り込まれている錯覚すら覚える、己の心境。まさかギアスで操られているのだろうか、とすら疑ってしまうほど。

ライはいつの間にか、ルルーシュに心を許していたのだ。

(ギアスではない。ギアスなら、疑問すら浮かばない)

ならどうして。

(助けられたから。命を懸けて、助け出してくれたから)

ほんとうに?

(私を心配して、怒ったんだ。私に向けて、笑ったんだ)

ああ、そうか。

偽りのない心が嬉しかった。まっすぐに向けられる感情が心地よかった。
今まで追い求め続けて、けれど誰からも与えられることはなかった。母と妹は例外としても、エリオスとて心からの感情を向けてくることはない。だからきっと、ルルーシュから渡される無償の見返りを求めない深い愛情と忠誠に、どうしようもないほど歓喜に心が震えたのだ。
小難しいことをごちゃごちゃ考える前に、瞬間で言うならルルーシュが木から落ちたといってぼろぼろの体で帰ってきたあの時に。

ライは、ルルーシュを認めていたのだ。








2010/05/06