あまえていいかな
時折、本当に時折、それこそ何年に一度というタイミングでだけれど。
無性に人が恋しくなることがある。砂漠にいるみたいに、体中の水分が蒸発してしまったかのように乾いて仕方がなくて、喉から手が出るほど、他人の体温が欲しくてたまらないときがあるのだ。
昔は―――信用できる人が、自分自身と母上だけだった幼いころは、母上にぴったりとくっついて離れなかった。妹が生まれてからは、無言で妹を抱きしめた。母上も妹も、何も言わずに黙って僕のことを抱きしめ返してくれて、自分以外の体温にとても安心したものだ。
だけど、今この時代には母上も妹もいなくて。信用できる人がいないわけではないけれど、無条件に甘えられる人、抱きしめられる人はたった一人を除いて思い浮かばない。しかも、母上や妹のときのように欲求のままに抱きついてしばらく離れない、というのをやっていい相手なのかどうかは疑問が残る。いや、彼と僕は世間一般で言うところの恋人関係にあるのだから、条件的には問題ないのだろうが。
なにしろ彼は奥手すぎる。いまどき手をつなぐだけで顔を真っ赤にする青少年は彼くらいだと思うのは僕だけではないはずだ。珍しすぎるだろう。
小さく首を傾げて少しの間黙考していたが、こうしていても仕方がない。僕は彼に声をかけるため、宛がわれている部屋を後にした。
「ルルーシュ」
自室で寛いでいたルルーシュに声をかける。ベッドに座り雑誌をめくっていたルルーシュはノックなしに部屋に入った僕に気づいていなかったらしい。びくりと肩をすくめて、見開かれたアメジストの瞳が僕の姿を映し出す。
「ライ?驚かすな」
「すまない」
若干の非難を含んだ言葉に悄然と肩を落とす。親しき仲にも礼儀あり、とはよくいったものでノックくらいするべきだった。はやる気持ちを抑えられなかった僕に非があるのは当然で、明らかに落ち込んだ僕に、今度はルルーシュがあわて出す。
「いや、怒っているわけではない!……どうしたんだ、お前にしては珍しい」
ノックなしの入出も、見た目で明らかにわかる落ち込み方も、感情の起伏が今日は激しいのは自覚済みだ。なのでルルーシュの問いにはあいまいに笑って、僕はルルーシュの左隣を指差した。
「横、いい?」
「ああ。かまわない」
了承を得て、ルルーシュの隣に腰を下ろす。ベッドが僕の体重で少し沈み込んで、普段ならさほど気にかけないそんなことがなんだか楽しかった。飛び跳ねるわけではないが、体重の移動でベッドの浮き沈みで遊んでいると右から視線を感じる。射るような鋭さはなく、敵意も害意もないが、驚きを含む視線に首をめぐらせれば、案の定先ほど以上に眼を見開いたルルーシュがそこにいた。
くすりと笑えば、さらに眼を見開いてルルーシュは僕から視線をはずして彷徨わせる。
「なにか、あったのか」
「……あったといえば、あった。かな」
「俺には相談できないことか?」
「できるけれど、君は怒りそうだ」
言葉に反して僕の言葉は穏やかで、意味とニュアンスの違いにルルーシュは少し戸惑ったようだった。触れてこそいないが隣にある体温が心地よくて、僕は抱きついてしまいたい衝動を懸命にこらえる。
「怒らない。とはいいきれないが、相談くらいして欲しい」
「そう?怒るというより君は……そうだね、うん。やってしまったほうが早いかもしれないな」
照れて真っ赤になりそうだけど。続くはずだった言葉は飲み込んで、違う言葉で自己完結をする。
ルルーシュの手元の雑誌はいつの間にか閉じられていて、僕はそれをすばやく取り上げると申し訳ないと思いつつも床に放り投げた。このままルルーシュの膝の上にあったら、多分雑誌はぐしゃぐしゃになってしまうから、それよりはいいだろうという判断だったが、ルルーシュは唐突過ぎる僕の行動にかなり驚いたようだ。
普段から物は大切に扱う方だから、なおさらだったのかもしれない。
そしてそのまま、僕はルルーシュに飛びつくように抱きついた。
「なっ?!」
「……うん、気持ちいい」
「ら、ライ!?」
ルルーシュの首に両腕を回して、寝転がったベッドの上でルルーシュの肩口に顔をうずめる。僕の吐息が首元にかかっているせいか、顔は見えないけれど、ルルーシュの首は真っ赤だ。声も若干裏返っていて、初々しい反応だと笑みを深める。
ぎゅう、と抱きしめる腕にさらに力をこめて体を摺り寄せれば、面白いほどルルーシュの体は固まった。ぴきっ、という効果音を立てて石化してしまったのではないかとすら錯覚する見事な固まりっぷりだった。
「ららららら、ライっ?!!」
「うん?」
「おま、ど、なぜっ」
動転して言葉が単語になっていないルルーシュには申し訳ないが、僕はようやく手に入れた人肌の体温がとても気持ちよくて、うとうととまどろんでいた。ここ数日、人肌恋しくて眠れていなかったからなおさらだ。ルルーシュにぴたりとくっついたままとろりと瞼を閉じてしまえば、夢の世界はすぐそこにある。
「……おやすみ、ルルーシュ」
吐息だけでささやくように呟いた台詞は、きっと動転しすぎていたルルーシュには届かなかったに違いなかった。
2010/05/04