手のひらにいっぱい




じぃっと白い掌を眺める。病的なほど白くはないが、健康的に日焼けしているともいえない肌の色。シャーリーやミレイには「うらやましい」と何度も繰り返された、自身の掌。
人差し指を曲げれば確かに動いて、それはほかの指も同じ。神経が通っているのを確認するように一本ずつゆっくりと曲げ伸ばしをして、最終的に掌を握り締めてこぶしを握る。
じゃんけんでいうところのぐーの形になった拳に笑みを浮かべていると、ちょうどリビングにやってきたルルーシュが訝しげに声をかけてきた。

「何をしてるんだお前は」
「ん?」

食卓に使っているテーブルに肘をつけて、ただ掌を握ったり開いたり、はたから見れば怪しいことこの上ない。しかも、ぼうっとして意識を別の場所に飛ばしているわけでもなし、それどころか薄く笑って機嫌がよさそうなのだから怪しいを通り越して不気味だ。
だがまぁ、一般人がすれば近寄りがたい不自然な動作ですらライがすればたちどころに絵になる構図なのだから、美形は得だ、というのはリヴァルの弁。
美形云々はおいておくにしても、学園内で幻の美形と呼ばれるだけあって、ライがすることはすべてにおいて様になるというのはルルーシュも同意するところだ。
ライの隣にルルーシュがいれば最強コンビ、見てるだけで眼がつぶれそうなほどきらきらしてるよね、というのは誰の台詞だったか。閑話休題。

「さっきからずっとそうやっているだろう。なにかいいことでもあったのか?」
「あれ?ルルーシュずっといたの?気づかなかったよ」
「それだけ自分の世界に入っていたんだろう」

小さく物音を立てて椅子を引いて、ライの正面にルルーシュは腰を下ろす。手に持っていたマグカップを傾けて、真っ黒なコーヒーを飲み込んだ。ライとてブラックコーヒーを飲めないことはないのだが、好んで飲もうとは思わない。紅茶なら断然ストレートが好きだが、コーヒーのブラックは正直言えば苦手だ。この間リヴァルに「意外と子供舌なんだな!」と笑われたのが記憶に新しい。
ぼんやりしながら優雅にコーヒーを啜るルルーシュを見ていると、ルルーシュの口の端がつりあがった。にやり、と効果音でも突きそうな明らかに悪い笑みだ。

「どうした、見惚れたか?」
「口調がC.C.になってるよ」
「冗談だろう」

冗談でもなんでもなく、今の口調も表情もC.C.にそっくりだった。大分毒されているようだと軽く肩をすくめれば、ルルーシュはとたんに不機嫌そうに鼻を鳴らす。その姿がますますC.C.に似ていたのだが、それを口に出せばルルーシュがすねることは必至なので、ライは賢く口をつぐんだ。
ある程度までのふてぶてしさなら許容範囲だが、あまりC.C.に似過ぎられるとライの手にはあまるかもしれない。できればそれは勘弁願いたいと心の隅でこっそりと祈った。まぁ、元があのルルーシュだから俺様を突き詰めたって結局最期は苦労性のお人よしに違いないのだが。


「それで。お前は何をしてたんだ」

元に戻った会話にゆるく首を傾げて、ああ、と頷いた。なんということはない。ただ自分の掌を眺めて、考え事をしていただけだ。
そのことを素直に伝えれば、ルルーシュは「だが」と言葉を続ける。

「ずいぶん嬉しそうにしていた」
「そうかい?」
「ああ。俺には言えないことか?」
「……というよりも、本気で心当たりがないんだ」

若干すねた口調を混ぜたルルーシュに苦笑して、ルルーシュに声をかけられるまでの自身の内心を思い出す。ナナリーと折り紙をしていたけれど、もう寝る時間だからと切り上げて、ナナリーは咲代子さんに連れられて部屋に戻った。ライはすぐ寝る気にもなれなくて、なんとなくこの場にとどまっていただけなのだ。そこにルルーシュがきて、この状況。
ぼんやりとする中で全く何も考えていなかったわけではないが、常のようにしっかりと思考回路で考え事をしていたわけではない。口に出すほどのことでもないが、ルルーシュは一度へそを曲げると長いから、言っておいたほうがいいのかもしれない。

「でも思い出し笑いみたいな感じではあったかもしれないな」
「思い出し笑い?」
「うん。唐突にね、僕はすごく幸せだなぁ、って思ったんだ」

ライの言う意味が伝わらなかったのか、真剣なまなざしで見てくるルルーシュにくすりと笑みをこぼして、ライは先ほどまで眺めていた掌にもう一度視線を落とした。

「僕は、ものすごい数の奇跡の上にここにいるんだって考えてた」
「……奇跡」

確かめるように呟いたルルーシュに淡く笑って、ライは少しだけ瞳を細めた。さまざまな感情が入り混じったその瞳は、まるで今にも泣きそうに見えて、今にも消えてしまいそうなはかなさすらはらんでいて、ルルーシュは抱きしめたい衝動に駆られながらもマグカップの取っ手を強く握り締めることでそれに耐えた。

「僕はほら、普通の人間ではないから。僕が生きた時代、生き残った理由、時代を飛んだ原因、軍の研究所の存在、脱走した意思、どれがかけても、今の僕は成り立たない」
「……」
「もっというなら、アッシュフォード学園にたどり着いたのだって、ものすごい奇跡だ。闇雲に逃げて、気づいたらここにいて、ミレイさんとルルーシュに拾われて」
「……」
「僕の手には、すごくたくさんの奇跡があると、思ったんだ」

得たものと同じかそれ以上に、失ったものも、多いけれど。
自虐の笑みと言葉は胸のうちに閉じ込めて、気持ちを切り替えるようにライは笑った。それは、ルルーシュですら息を呑むような、綺麗な笑み。過去もすべて受け止めた上で、今を生きる幸せな笑顔。

「僕のてのひらにいっぱい、たくさんのものがあると、かみ締めていたんだよ」

一番の奇跡も幸せも、ルルーシュに出会えたことだ。
照れる様子をかけらも見せず言い切られた台詞に、ルルーシュは軽く眼を見開くとふわりと笑って「俺もだ」と小さな声で、それでもライにはしっかりと聞き取れる音量で呟いた。








2010/04/30