背信の味方
多少の体力はついただろうと思う。以前に比べれば、ましになったとは思っている。
けれど、それでもまだまだルルーシュの体力は平均に比べると少ないのだろう。とくに車や電車の存在しないこの時代においては、ルルーシュの生きてきた時代以上に、人には体力がある。
だからやっぱりルルーシュは人と比べれば体力は劣る。ナイトメアが存在せず、銃もろくに普及していない、剣と槍の歩兵戦のみが戦争の手段のこの時代。一人戦場に放り出されればどうなるかなど、火を見るより明らかな結果だ。
上手く立ち回らなければ、待つのは死。
「今のところ、目立った損害はありません。負傷者は数名に留まっています」
「正確な人数は?」
「現在確認中です」
ヴィスペリア皇国、帝都ラクスから移動時間七日間。サイラとの国境にはられた作戦室代わりのテントの中、ライは斥候の兵の報告を聞いていた。
まだ、大規模な作戦は展開されていない。国境を守るサイラの兵と多少の戦闘があった程度だ。警備兵全てを殺し、ライが手に入れた情報を元にサイラへは「変わりなし」の定期報告を行っている。
ライが警備兵の一人を捕虜とすることを命じ、捉えたと報告を受けた後姿を消したことをルルーシュは知っている。恐らくは、ギアスをかけて定時の連絡方法を聞き出したのだろう。
その警備兵も、いまやこの世にはいまい。確信を抱けるのは、戻ってきたライから微かにだが血の匂いがしていたからだ。同じく人を殺してきたものとして、いつの間にかそういうものがわかるようになっていた。
「さて、どう攻めたものか」
斥候の報告を元に敵の兵力を書き込んだ地図をにらみつけて、ライは唸るように呟いた。元々何種類かの襲撃パターンを用意してきたが、そのどれもが、いまいち決定打に欠けている。
敵の兵力は、国境を越えた西方に重点が置かれ帯状に配列されているらしく、それはライにとって、想定外のことだった。
サイラはヴィスペリア皇国とシャラダンの戦に横槍を入れた。それはヴィスペリア皇国に対する敵対を意味し、両国の関係は高い緊張状態になっていたはずだ。
なのに、国境警備があまりに手薄。通常時となんら変わりはなかった。サイラの国軍が置かれている首都から、この国境までは確かに距離がある。だが、ライたちとてここにいたるまで相応の日数を消費しているのだ。先行させた兵くらい十分に辿り着くはず、国境警備に当たっていないのは不自然だ。
ライは当初、この場所が最前線になると踏んでいた。そのための様々な戦略を練ってきた。だというのにこの現状だ。
戦続きのヴィスペリア皇国に、サイラと戦争をするだけの国力がないと見縊っているのか。あるいは。
「誘っているのか」
地図上に示された、サイラの兵が固める街道をなぞって低く放つ。周囲を密林に囲まれたサイラという国の地形上、馬を使い多勢で攻め入ろうとするなら切り開かれた街道を使うしかない。
しかしそれでは、森の中で待ち伏せを受け街道を挟み撃ちにされた場合危険すぎる。斥候の報告を聞く限り、密林を抜けた先でサイラは兵を配しているようだし、森の中で待ち構えている気配はなかったというが。さてどう動いたものか。思考にあまり時間はかけられない。
定期報告は変わらず発しているが、異変にはいつ気づかれてもおかしくないのだ。
顎に手を当てふつりと黙り込んだライの後姿を、少し離れた場所で見つめながらルルーシュは唇を噛んでいた。
戦略の要である場所に、立ち入ることは許された。だが、ルルーシュに発言権は与えられていない。帝都を出るときに、ライ自身によって「戦略に口を出せば即刻切り捨てる」と釘を刺されているのだ。
もちろん、最後まで従うつもりは毛頭ない。けれどまだ、口を挟むのはいまではない。戦局が、動いてからだ。効果的に見える場所で、救世主のごとく言葉にしなければならない。
ルルーシュには、この場合とるべき最善も見えている。わかっているのに、口にすることが出来ないことほど口惜しいことはない。
「第三部隊をつれて、私が行こう」
ライが下したのは、ルルーシュからすれば最も愚かしい決断だ。
思わず動きかける口を閉ざす。周りのものたちから異論は出ない。そのことに憤然としつつも、それもまた仕方がないのだと理解していた。
ライについて、城で兵士に話を聞く中で新たに知ったことがある。
ライは皇帝でありながら、常に最前線に出て行くのだ。今回こそ、第三部隊を指名したが普段引き連れるのは少数精鋭の第一部隊のみ。いわゆる親衛隊だ。
部隊を引き連れ、最前線を切り開き、自ら敵将を討ち果たす。それは、確かに聞こえはいい。だが、実際には皇帝としてはあるまじき戦略だ。いや、それはすでに戦略ではない。戦術ですらない。ギアスの力に頼りきった、猪突猛進だった。
それでも成果をあげている。実績がある。だから誰も異を唱えることが出来ない。しようとも思わない。
この現状を、ライの補佐をしているといったエリオスという青年はどう捉えているのだろう。
(一度、ヤツとは確り話をしたいな)
今は帝都で城を任されているエリオスを思い起こしながら、剣呑に目を細める。エリオスは、戦場に出ない。常に城に残り、後を任されている。
ライの信頼が篤いからという理由以上に、恐らくは城をライとエリオス共に不在の状況にすることができないのだろう。ライの不在を機として、内部から反乱を起こさせないために。城に住む母と妹を守るために。エリオスは抑止力として残されている。
本来なら、残るのはライであり、先陣を切るのがエリオスであるべきだ。思うところは色々とあるが、ルルーシュ自身がナイトメアに騎乗して先陣をきっていた過去もあり、二人の間を結ぶものもよく知らないので口を出せたことではないが。
「すぐに出る」
夜まで待つとは言わない。暗がりが有利に動くのは、土地勘のある場合のみだ。とくに、今回のような夜の密林ほど、警戒すべきものはない。
今が正午を過ぎた刻限。決着は日が落ちるまでにつける。
言い切ったライの横顔を見つめながら、ルルーシュはひそかに眉を寄せた。
ライと第一部隊が野営をたったあと、定期的に兵が報告に訪れるのを他の将と共に聞きながら、ルルーシュは黙考していた。
(国境の警備を手薄にする理由。いくつかあるが、この場合どれも最善とはいいがたい。ライをあなどっていた?本当にそれだけか)
戦争続きだという皇国。脅威はないと判断したというのか。その意見は他の将たちの共通意見だったが、ルルーシュは即座に否定した。
(勝ち続ける、勢いに乗っている国ほど恐ろしく映るものはない。たとえ守りの戦しかしないといっても、いつ攻めの戦にかわるかはわからない)
だから、国境を警備しないのには理由があるはずだ。ライのいうように、誘っているというのも一つの策。だが、まだ足りない。
それに不可解なの点は他にもある。サイラはシェリダンとの戦いの終結後に、ライ率いる国軍に襲撃をかけてきた。そのときのことを、戦闘に参加していた兵から仔細に聞いている。サイラは自ら襲撃しておきながら、あまりに引き際がよかったのだと。ライが指揮し、反撃をしたときにはすでに撤退を始めていた。それはまるで、敵意を示すことだけが目的だったように。
(ライに自ら攻めさせることが、目的か)
幾度考えても、結論は同じ場所に帰結する。
相手の指揮官が相当な愚者でない限り、そうとしか考えられない。兵たちはライの素早い対応に敵が恐れおののいて逃げ出したのだと捉えているようだが、その可能性は限りなく低い。
ライは、全て承知で攻め入ったのだろう。ライが気づかないはずがない。不可解に思わないはずがない。相手の思惑に乗ってでもライが突き進むのは、それ以外に道がないからか。
ライは一度は必ず戻ってくるだろうとルルーシュは踏んでいる。密林を抜け、そのまま小隊だけで敵の本陣にぶつかりに行くことはないはずだ。
ライは家臣も兵も、あまりに信用していない。ライを取り巻く環境を考えれば仕方のないことだが、負担が大きすぎる。今回も密林の中に危険がないのかを己の目で判断して、本陣を率いるはずだ。
戻ってきたそのときに、反感を買うことを承知で一つ提言をしてみよう。ライは己にとって有益なものを見落とすほど愚かではない。ルルーシュの提案がライにとって利になるなら、使うだろう確信があった。
「ご報告申し上げます!!」
突然、まろぶように転げ込んできた兵士。服装からして斥候ではない。尋常ではない様子に、何事だと問いただされて兵士は叫ぶように声を上げた。
「陛下に付き添った第三小隊が奇襲を受け全滅とのこと!唯一帰還した兵によれば、陛下は一人敵に囲まれているとっ」
ざわり、さざなみのように将の間に波紋が広がって、けれど、それだけだった。
だれも救援になどとは言い出さない。驚くルルーシュをよそに、妙に冷静に将は口にする。
「陛下ならば問題あるまい。我らは陛下が戻られたとき、即座に指示に従えるように構えるのみ」
それは、信頼ではない。
将の口ぶりは、指揮官を心から信頼しているがゆえのものではない。死んでしまっても構わない、そう思っていると如実に語るものだ。
言葉もないルルーシュを置き去りに、彼らは万一ライが戻らないときの場合の話をする。本陣を率いて攻め入るか、このまま撤退するか。それはどのタイミングで行うべきか。交わされるのは、ライが死ぬことが前提の会話。
いつも、こんな風なのだろうか。こうやって、守っている味方に戦地で死ぬことを期待され、窮地に立たされても一人で乗り切るしかない。ライはどれほどの孤独に、耐えているというのか。
呆然とするルルーシュの胸に、怒りが湧き起こる。ふつふつと、煮えたぎるそれはマグマのように苛烈で、かつて経験してきたどれよりも激しい憤怒だ。
「ふざけるな!陛下の危機だぞ!!こんな場所で構えていていいものか!」
激昂したルルーシュの罵声にも、誰も顔色を変えることはない。しらけた眼差しを、向けるだけだ。
「兵を集めろ!陛下の救援に向かう!!」
怒号に、反応はない。無表情のまま将の一人がおもむろに口を開く。
「お言葉だが、我々に指揮権はない。むろん、貴行にもな」
ライは家臣を信用していない。自分の死を望む人間を、どうして信用できる。
指揮権など与えて、勝手に動かれれば戦場で味方の刃に倒れることになるかもしれない。その可能性が、大きすぎる。だからライは、自分以外の誰にも軍を率いる資格を与えていない。破れば死罪だ。それだけが、味方の刃からライを守っている。
「っ。もういい!俺がいく!!」
戦場につれてきてもらうに当たって、ルルーシュは帯剣を許されなかった。それも当然で、そもそも帯剣していたところで使いこなせる自身など皆無だ。必要もないだろうと、思っていたのだが。
丸腰が、それがなんだというのか。敵の真っ只中にいるライの元へ戦えないルルーシュがいくことは、自殺行為に他ならない。それでも、このままこの場に留まるなんて選択肢はありえなかった。
身を翻したルルーシュを引き止めるものはいない。報告に訪れた兵だけが、縋るような眼差しを送っていて、本当にライは下々の民には好かれているのだと実感した。
馬を休ませている場所まで走り、説明するのも面倒だと馬を奪うつもりだったルルーシュに、以外にも馬番の兵士は何も言わず手綱を差し出した。
「陛下を、頼む」
かみ締めるような言葉。よくよくみれば、その顔は見知ったものだった。よく馬小屋に出入りしていた、下級兵。何度か言葉を交わしたこともある。渡された手綱の先、繋がれているのはこの場に残っている馬の中で、もっとも足が速い黒々とした毛並みの駿馬だ。
兵の言葉に確りと頷いて、手綱を受け取ったルルーシュは颯爽と馬にまたがった。
2010/01/20