新たな日常
思わぬ展開で、ライの側近という立場になったルルーシュだったが、ルルーシュの過ごす日々は軟禁状態のときとあまり代わりはしなかった。
それも当然だろう。いくら側近、といわれても、ルルーシュ自身へのライの信頼はゼロに等しい。マイナスでないだけ、ましではあるが。
多忙を極める身であるライと、またも会えない日々だ。事実に小さくため息を零すことも多い。信頼を得るというのは、思う以上に大変で、ライの立場を鑑みれば並大抵のことではない。
けれど、千里の道も一歩から。日本の格言を思い出して、ルルーシュは今日もせっせと馬の世話に精を出していた。
「後は、水汲みか」
捲り上げた袖から覗く日焼けしていない腕。馬の毛づくろいのために手にしていたブラシをおいて、目深に被っていた帽子を少し上げて、額に浮かんだ汗を拭う。ほう、と息を吐き出して背伸びをすれば背骨がいい音を立てた。
ルルーシュは側近に取り上げられたのであって、雑用係に任命されたわけではない。けれど、突然表れた不審人物を政治の中心に入れるわけにもいかない。結局、側近というのは名ばかりで、ルルーシュにはこれといった仕事が与えられなかった。
かといって、日々を諾々と過ごすのは愚か者のすることだ。時間に追われる仕事がないならば、探せばいい。城という場所において、人の手はいくらあっても足りることはない。
色々と城の中を探索し、自分がしても不信感や反感を買うことのない仕事を探した。厨房関係は、毒の混入を疑われるから駄目だ。警備や警護は、体力的に無理。庭仕事も、同様の理由で却下。残ったのは、メイドのする部屋の掃除、それも出来るだけ使われることのない場所といった、機密情報を扱っていない場所、馬番の雑色がする馬の管理と馬小屋の清掃くらいだった。
働けるように頼み込んだとき、変な顔をされつつも拒否されることはなかった。ルルーシュの存在は、意外と広範囲に知れ渡っているようだと、そのときに実感した。
当然、ルルーシュの本来の目的は雑用をすることではない。雑用をこなす中で得ることが出来る情報が目当てだ。本当に重要な機密情報を除けば、こういった仕事をしていると自然と色々な会話を耳にする。貴族や高位の兵で、下の人間の存在を認めているものは少ない。だからこそ、近くでメイドや雑色が仕事をしていても、重要な会話をするのだ。
現に先ほどまでルルーシュが馬の毛づくろいをしていたときも、丁度馬を連れてきた兵士二人が次の戦についての話をしていた。人間がいたことには気づいただろうが、ルルーシュだとは気づかなかっただろう。アメジストの瞳を持った、ブリタニア皇族の人間がいる。ルルーシュに関する情報など、その程度で瞳さえ見られなければだれもルルーシュが件の人間であるとは気づかない。念のために、帽子も被っている。
そして、様々な仕事を積極的にこなすルルーシュはメイドや雑色、下級兵の間で少しずつだが確かな信頼を得ている。最近では近くを通れば相手の方から挨拶をしてくれるし、メイドはこの時代では高級品だろう菓子類の差し入れをくれることもある。雑色や兵士は自身が見聞きした戦場の様子や、戦局、ヴィスペリア皇国を取り巻く現状を克明に語ってくれる。
それらは、下手に嗅ぎまわるよりはるかに安全で、そしてなによりも信憑性が高い情報だ。
だからこそ、ルルーシュは汗水垂らして働いている。たまに自身でなにかおかしい、と思わないこともないが、だれにも文句は言わないし、言わせるつもりもない。ただ飯食いよりいいだろうと、開き直っている部分もある。
それに、体力仕事も徐々にだが受け持つことも出てきた。以前に比べれば随分と体力もついたのではないだろうか、と希望的予想も持っている。
「お、もう終わったのか?随分手際よくなったじゃんか!」
馬の影からひょっこり顔を出したのは、そばかすを散らしたどこか憎めない顔つきの少年だ。赤毛の髪はくるくるとした天然パーマで、スザクを思い起こさせる。年は13だと教えてもらった。
この馬小屋の本来の番人の息子であり、ルルーシュが働きたいといったときに快く受け入れてくれた子供だ。
そして、知識はあっても手つきのおぼつかなかったルルーシュにあれこれと世話をやきつつ色々教えてくれた相手でもある。
見知った子供にルルーシュも笑みを浮かべて手袋を外して、頭を撫でてやる。
「教え方が良かった。アルのおかげだ」
アルという名の少年はルルーシュに撫でられて若干恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
「へへ、そーいってもらえると嬉しいや!そういえば、もう昼時だぞ。飯持ってきたけど、どうする?」
「そうだな……あと少しで終わるから、それから貰おう」
「わかった。なら手伝ってやるよ。一人でやるより二人でやる方が早いし、一人の飯より二人で食う飯のほうがうまいしな!」
にかっとてらいなく笑いかけてくるアルにルルーシュも笑みを返し、随分手に馴染んだ気がする水桶を持って水汲み場まで向かった。
アルと二人、馬小屋の近くにある木陰でアルの持ってきた昼食を広げる。バスケットのなかにはいっていたのは、たっぷりの野菜がはさまれたパン。ルルーシュのなれたパンより、幾分硬いものだが、これがこの時代の主食であり、アルの身分からすれば随分といいものである。
末端のものにまで、パンや小麦がいきわたっている。貧困と飢えの蔓延するこの時代において、それがどれほどすごいことであるのか。
これだけでも、ライの統治能力の高さと、民に対する深い配慮を感じ取ることが出来る。
パンに口をつけたルルーシュの横で、アルはきらきらと瞳を輝かせて嬉しそうに口を開く。
「みんな陛下はすっごく怖いっていうけどさ、俺は知ってるんだ!陛下は、本当はすっげぇ優しい人なんだって!!」
アルのこの台詞を聞くのは、初めてではない。ルルーシュと一緒にいるときは必ず、アルは陛下、ライのことを口にする。
幾度同じ言葉が繰り返されても、アルが真っ直ぐにライを慕っているのがよくわかるから、聞いていて飽きることはない。今日もまた、ルルーシュは静かに耳を傾けた。
「親父がまだ兵士だったとき、たまに城に忍び込んでさ。探検とかしてたんだけど、やっぱり子供だから警備兵に見つかって。その頃は、まだ前陛下の統治期で、今よりずっと色んなことが厳しくて、子供の俺も容赦なく殺されそうになった」
今でも鮮明に思い出すことが出来る。恐怖に滲む視界でも、不思議とはっきり見えた振りかざされた剣の鈍い煌き。止めてくれ!まだ子供なんだ!そんな父親の懇願は届かずに、アルの命は消えるはずだった。
それを覆したのは、アルよりほんの少し年上の子供の一言だった。
「陛下は見ず知らずの俺のことを『友達だ』って言って、かばってくれた。涙でぐしゃぐしゃで、ひっでー顔してた俺に笑いかけて、手を伸ばしてくれたんだ。俺、あのときのことは一生わすれねー!」
『大丈夫?』『ごめんね、君の事、兵士に伝わってなかったみたいなんだ』
そういって、さし伸ばされた掌の温かさを、決して忘れることはないだろう。勝手に城に忍び込んだ、罰せられるべき赤の他人のために、自身が責められることもいとわずに、助けてくれる。そんな皇族が、どれだけいるというのか。幼心にも、鮮烈に焼きついた。ああ、この人はすごい人なのだ、と。
「だけどさ、やっぱりお咎めなしとはいかなくて。俺の親父は兵士を首になった。路頭に迷う俺たち家族に、陛下はまた、手を差し伸べてくれた」
『力が足りなくて、ごめん』
心底悔しそうに、それこそ泣きそうな表情で、ライはそういって頭を下げた。皇族が、民に頭を下げるなど本来あってはならないことで。両親が慌てふためいていたことを覚えている。
『僕の力では、服兵することは、難しい。でも、でももしも、雑用でもいいというのなら、なんとかなるかもしれない』
兵士として軍人として、戦ってきたものにとって、それは屈辱に値するだろう。けれどそれでもいいというのなら、なんとかしてみせる。
力強く言ったライに、アルの父は感謝こそすれ拒否することなどあるはずがなかった。
そうして、アルの父親は城の馬番となったのだ。
「だから、陛下が皇帝になったときは本当にうれしかった!みんな怖がってたけど、俺は誇らしかった!やっぱり陛下は、皇帝になるべき人だったって!」
突然の前皇帝の死、皇位継承権上位の兄二人の死、戦慄を抱いたものは多いはずだ。
13歳の子供が、出来るはずがないと思いながら、疑いを抱いたものも多いだろう。
それでも、アルは喜んだ。恐怖に戦く大人たちを尻目に、アルだけは純粋に嬉しかった。
「前の陛下のときは、俺たちはろくに食べるものもなくて、病が流行れば死ぬしかなかった。でも、陛下は違う。食べるものをくれた、清潔な環境を整えてくれた。陛下はやっぱりすごい人だ!」
民にとって、最も重要なこと。それは、戦に勝ち続けることではない。確かに、敗戦は死を意味するが、それ以前に。
毎日の食事の保障と、病にかかる心配のない環境、たとえ病気になったとしても即座に対応してくれること。
これほどまでに、民にとってありがたいことはない。ライは国外でこそ、狂王と畏怖される対象だが、国内では賢王として圧倒的な支持を集めている。その理由は、アルがいうとおりだ。
「アルは、陛下が大好きなんだな」
「うん!きっと陛下は俺のことおぼえてないんだろうけどさ、それでもいい。俺の夢は、いずれは陛下の乗る馬の世話をすることなんだ!いまは馬小屋に近寄らせてももらえないけど、俺は将来絶対あの真っ白な毛並みを梳いて、最高の手入れをして陛下に乗ってもらうんだ!」
きらきらと輝く瞳は未来への希望に溢れている。何度も繰り返すが、この時代で、これほど真っ直ぐ前を見据えることが出来るのが、どれほどの幸福か。きっと、ルルーシュが思う以上に得がたいものだ。
「ルルーシュは、陛下の側近なんだろう?今日は陛下と話せたか?」
この問いも、毎日繰り返されるものの一つだ。先ほどまでの元気さはどこへやら。心配そうな声音で聞かれる問いに、ルルーシュは苦笑と共に、小さく首を横に振った。
「そっか。でも、あきらめんなよ!ルルーシュも陛下には負けるけど、いいやつだから、いつか絶対、陛下と話せるさ!」
にかりと笑って断言された言葉。アルの無邪気な笑みに、ルルーシュも「そうだな」と肯定を返す。
ああ本当に、こんな風にライと話せるその日が早くくればいい。
策は徐々に完成しつつある。焦りは禁物だと己を戒めながらも、そう願わずにはいられなかった。
2010/01/15