チェックメイト
「チェックメイト」
黒のナイトをもったルルーシュの宣言により、ライとルルーシュの対戦はルルーシュの勝利に終わった。
白のキングがルルーシュの掌に収まる。その瞬間、ライの表情がほんの僅かだが悔しげなものになった。けれど、それもすぐに平常どおりの平坦な表情に戻る。
対戦はルルーシュが思っていたよりもあっさりと決着がついた。それは、ライの使う手がルルーシュからすればあまりにも古かったこともあるが、なによりもライが定石通りに打ったことも敗因の一つだ。
ライの打つ手はどれも悪手ではなかった。けれど、それだけだ。飛びぬけていい手を打つこともなかった。定石に則った、良くも悪くもない手。局面を正確に把握しているのはわかる。その時点での最も効率的な手を打つ。大抵の相手ならば負けないだろう。ただ、その先がない。それは戦術だ。数手先を読む力は、確かに大切だが、さらにその先を見据えた戦略がなかった。
ルルーシュは、ライが手を抜いているとは感じなかった。むしろ、気迫だけなら全力で勝ちにきていた。なのに、ライは負けた。
ルルーシュの知るライは持っていた力をこの時点で持っていなかったために。
やはり、幼い。かみ締めるように実感して、傍にいたいという想いはいっそう募った。傍で支え現時点で不足しているものを補ってやりたい。成長していくさまを、見てみたい。焦がれるように、願う。
目の前で盤上を一心に見つめる姿に笑みを零す。真剣な表情は、睨み付けるようで。かつて対戦したときも、ライは負けると必ずそうやって盤上を見ていた。自身が負けた原因を、必死に探していた。
「陛下、無礼を承知でお尋ねしてもいいですか?」
「なんだ」
「いま、すごく悔しいでしょう?」
初めて対戦した頃こそ、ライが「悔しいな」と呟いたのに「そうはみえない」と本気で返していたものだが、対戦を重ねるうちにわかった。ライは、負けを本気で悔しがる。ゲームだから、と負けを放棄したりしない。負けは負けと受け止めて、それこそナイトメア戦で負けたときと同じように原因を探る。
チェスは戦略に長じたゲームだ。チェスで負けの要因を探り、突き止め、改善することは次の対戦で生かされる以上に、その他の場面でも生かされる。例えば戦略を使ってのナイトメア戦、指揮官としての戦争、政治。数えあげればきりはない。
ルルーシュの言葉に、ちらりと一瞬だけ上からルルーシュへと視線を動かしたライは再び盤上に視線を戻しながら口を開いた。
「そういえば、貴様に伝えなければならないことがあった」
「なんでしょうか?」
「貴様、殺されるぞ」
世間話でもするような軽いノリで告げられた言葉。相変わらずライの視線は盤上の上。ルルーシュの視線はライに固定されている。
だが、告げられた内容自体にたいした驚きはない。それは、予想の範囲内。
「人の口に戸は立てられぬ。まぁ、立てたところで貴様の外見がそれではな」
示されたのは、瞳の色。ブリタニア皇族に連なる証。
「ここにいれば、貴様は殺される。私を快く思わぬものたちによって」
属国で、主たる帝国の皇族が殺された。
それがどんな意味を持つのか。反逆か反乱か。どちらにしろ、敵意を示すことに変わりなく。
そんな事実が露見すれば、たちどころにライは立場を失くすだろう。それを、望むものたちがいる。
ルルーシュがこの場にいることは、ライの失脚を狙うものたちにとって好都合だ。ルルーシュを殺すことで、容易にライを蹴落とすことが出来る。
黙って耳を傾けるルルーシュに、淡々とライは続けた。
「さて、ここで哀れな貴様に選択肢を二つやろう。この場に留まり殺されるのを待つか、ここから逃げ出すか。逃げ出しても、追っ手はかけぬ。むしろ、国内からでるまでは護衛をつけてやってもいい」
護衛をつけるのは、国内で皇族が死んだという汚名を着せられないため。
あくまでもライの立場を守るためだ。
ルルーシュに突きつけられた選択肢。前者を選べば死、後者を選べば生。どちらを、選ぶか。
(答えなど、決まっている)
考える必要などまるでない。ルルーシュは、たった一つの約束の為にこの時代にいるのだから。
「陛下のお傍に」
右手は胸元に当て、深く深く頭を垂れて告げるのは、死を選んだ事実。
ライが、盤上からルルーシュに視線を移したのを感じ取る。突き刺さる、見定めるような眼差し。値踏みする、視線。
「自ら死に急ぐか」
「陛下の手を煩わせるつもりはありません」
守ってもらおうなどという下心は微塵もない。自分の身くらい、自分で守る。体力が平均以下でも、武道がからっきしでも、それを補って余りあるほどの頭脳がルルーシュにはあるのだ。そこらの輩にあっさりとやられるほど、やわではない。
ルルーシュが僅かに思考する時間もなく即答したことに、ライは目を細める。一度瞼を閉じて、瞳を伏せ、口角を吊り上げた。
「ふっ、賭けは私の二敗か」
吐息を零すような笑みと、今までとは比べ物にならない穏やかな声音。
ルルーシュがそろりと顔を上げれば、ライは僅かに微笑みながら深くソファに座り込み、背を預けていた。
視線が絡みあって、ライの澄んだ青紫の瞳にルルーシュが映りこむ。理性では、頭を下げなければならないとわかっているのに、力強いその瞳に捉えられて、ルルーシュは動くことが出来なかった。
どの時代も、ルルーシュを捕まえて離さないライの真っ直ぐな瞳。強い信念を覗かせる煌きは、炎のようだと思う。触れれば、たちどころに焼かれてしまう烈火のごとく。周りを浸食し、飲み込む激しい炎。
「お前を、私の側近に取り上げよう」
ほんの少し、温かみの篭った声音で放たれたのは、信じがたい言葉。
ルルーシュに対する二人称の変化。それ以上に、ライの言い放った内容は驚嘆に値する。驚くルルーシュを前に、些か面白そうな、からかうような色を瞳に宿してライは続ける。
「私は賭けに負けた。だから、お前を取り立ててやる」
「それは、どのような内容か聞いてもよろしいでしょうか」
ライの言葉だけでは理解するのに足りない。ライは分かっていてあえてわからないように言葉を選んでいる風だ。それを踏まえて慎重に問いかければ、以外にもライはあっさりと口を割った。
「本気の私とのチェスの勝負でお前が勝ち、なおかつ先の問いに残ることを即答するならば、お前を私の側近にする」
「そんな賭け、誰が」
突然現れた正体不明の不審人物。そんな人間が、チェスをできるのかどうかもわからない。この時代において、チェスは貴族の遊戯だ。一般庶民は、ルールも知らないだろう。
チェスが出来るかどうかで、出生がどの程度の階級なのかわかる。それを試されるならば、まだ納得はいく。実際ルルーシュは、最初ライがチェスの対戦を求めてきたときに、それを見極められているのだと思っていた。
だが、チェスに勝ち、残ることを即答したなら側近?
そんな無茶苦茶なこと、一体どこの誰が言い出したというのだ。いや、想像はできている。先ほどライが口にした“あいつ”という人物だろう。この時代でライが信頼を置く人物がそれほど多いとは思えないし、口ぶりからして相当の信頼を置いている様子だった。
けれど、なぜ。この時代でルルーシュを知る人間など、いるはずがないというのに。
疑問は渦を巻く。たとえ自分にとって僥倖というべきことでも、明確な理由のない善意は気持ちが悪い。この場合、善意なのかどうかすらわからないが。
「納得がいかない、そんな顔をしているな」
「正直に申し上げるならば。私のような不審人物を取り上げて、その方に利があるとは思えない」
ライの失脚を狙う人物ならば、ルルーシュという不審人物をライの傍に置くことでルルーシュがライの命を奪うことを狙っているのかもしれないと考えることも出来る。だが、そんな人間にライは信頼を置かないだろう。賭けなど、するはずがない。
「お前が納得できるかどうかはわからないが、あいつの言い出すことで私に害があることはない。あいつはお前を私とって利のあるものだと判断した。あいつがそう判断した理由を求めるなら、そういうやつだ、としか言いようがない」
それは、かつてルルーシュも口にした言葉だ。
神根島にルルーシュとカレンを探しに来たライはC.C.に居場所を聞いたといった。そのライにルルーシュは「あいつはそういう女だ」と答えたのだ。
それと、同じ意味だろうか。
(まさか)
脳裏をよぎる、一つの可能性。
それは、ライのいう“あいつ”がライの契約者である可能性だ。コード保持者は総じて不思議な力を有している。そう仮定するなら、納得できないこともない、が。
(今は考えても仕方がない)
小さく息を吐き出して、疑問は一端脳裏から追い出す。今一番重要なのは、その部分ではない。
「とはいえ、それらはこちらの一方的な賭け内容だ。お前が従う義務はない。どうする?」
ルルーシュの反応を伺うように、楽しげに細められた瞳。
それこそ、答えは決まっている。
「陛下のお傍に存在することが、私の望み」
折角のこのチャンス、手に入れないで終わるはずがない。
再び深々と頭を下げたルルーシュに、ライは楽しげだった表情を一変させて、小さく小さく、眉をひそめた。
2010/01/12