白のキングと黒のキング
突然の奇襲もライの素早い行動と判断でヴィスペリア国軍はさしたる損害を受けることなく敵を退け、ルルーシュも無傷のまま城に連行された。
あれ以来、ルルーシュはライにはあっていない。当然といえば当然だろう。ルルーシュは皇族と名乗ってはいるものの身元不明の不審者で、相手は皇帝。会えるはずがないのだ。
ルルーシュの予想に反して、城につれてこられたルルーシュは牢に入れられることはなかった。軟禁状態ではあるが、それなりの部屋を与えられて食事には不自由していない。破格の待遇だ。
当初は即座に策を打ち出し、言葉は悪いがライに取り入るつもりだったのだが、いまだルルーシュは与えられた室内でのんびりと過ごしている。それは、ライの覚悟を目の当たりにしたからだった。
今取り入れば、ライの真実の信頼は得られないと判断したためだ。
傍にいることが絶対条件ではあるが、表面的な信頼など欲しくはない。欲するのは心からの絶対的な信頼。
機を待つべきだと逸る心を抑えて、ルルーシュは表立っては大人しく、実際にはあれこれと策をめぐらせながら、久々のゆったりとした時間を満喫していた。
さらにルルーシュにとって嬉しいことに、室内には本棚一杯に書籍が多数置いてあった。それは、ブリタニア帝国の歴史書であったり、ヴィスペリア皇国の歴史書だったり、世界地図であったり、各国の力関係を克明に記したものもあった。
この時代のこの国において、これらは恐らく基本的な、それこそ常識と呼べるものなのだろう。でなければ、こんなにも無造作に、もしかしたらスパイかもしれない人間を閉じ込めている部屋には置いていない。
けれど、そのどれもがルルーシュの知らない情報だ。ルルーシュがいくら頭がよく、ライのことだと歴史を紐解いたことがあるとはいえ、後世に完全に正確な情報が残るはずもない。推察は出来ても、限度というものもある。
この時代で生きていく上で、これらの情報は最もルルーシュに欠けていたものだ。頭脳で戦うルルーシュにとって“知らない”ことはなによりの危険。ヴィスペリア皇国の国力、ブリタニア帝国との力関係、周辺諸国との折り合い、それらによってルルーシュのとるべき今後の行動も変わってくる。
椅子に腰掛け、端から見ればゆったりと、その実本の内容を一文字残らず頭に叩き込みながら、日々を過ごすこと一週間。
本棚の本を全て三回ずつは手に取ったころに、転機は訪れた。
「入るぞ」
短い言葉が聞こえたときには、扉はすでに開けられた後だった。軽い足音と共に、真っ白な人影が室内に入ってくる。
長い銀髪を結ぶことなく背中に流したライの纏う服は以前見たときよりも大分布の量が多い。戦用の服だったのだろうな、と思考してそれまで座っていた椅子から立ち上がり、床に片膝を付いた。
「お久しぶりです、陛下」
この時代、ライの傍で生き抜こうと思うならば、ルルーシュは臣下として生きることになる。以前のような関係は望めないし、手に入ることはないだろう。
だから、ルルーシュは自身にライの家臣となることを位置づけた。今まで誰にもかしづいたことはなかった。己のプライドがそれを許さなかった。けれど、ライならばいいと、思ったのだ。
逆転した立場に思わず笑みが浮かぶ。しかし、これはこれで面白い。頭をたれるルルーシュの前でライが立ち止まる。
「面を上げろ」
「は」
許しを得て、顔を上げる。視界に移りこむライの秀麗な容貌。やはり幼い。それに、ここが城の中だからだろうか。野営地で見たときよりも、若干表情が柔らかく見えた。
「再び陛下に見えることが叶い、我が身の幸福に」
「堅苦しい言葉はいらぬ。世辞も謝辞も聞き飽きている」
ルルーシュの言葉を遮ったライは心底煩わしそうに片手を振った。すぐに言葉を区切り、ルルーシュは変わりの言葉を口にする。
「本日は如何様なご用件で」
ルルーシュの効果的な使い方でも決まったのだろうか。それともただの気まぐれか。ライの性格からして後者の可能性は薄いだろう。……いや、ありえるかもしれない。ライはつかみどころのない部分があったから。
瞬時に幾通りもの可能性をはじき出したルルーシュだったが、続いたライの言葉はそのどれもと違っていた。
「チェスは出来るか?」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食らった。
予想外の言葉に目を丸くするルルーシュに、ライは若干不機嫌そうな、それでいて好戦的な表情をした。
「できるのか、と聞いている」
「できますが……」
なにしろ、チェスはルルーシュがもっとも得意とするボードゲームだ。出来ないはずがない。それに、この部屋にはチェスの一式が置いてあって、ルルーシュは手遊びに一人で棋譜並べもしていた。
ルルーシュの答えに満足したのか、ライは一つ頷くと室内にあるソファにどっかりと腰を下ろした。正面の机には、ルルーシュが棋譜を並べたままのチェスボードがある。
「座れ」
机をはさんで向かい側にあるソファを指差して尊大に告げるライに従って、ルルーシュは大人しくソファに座り込んだ。
「これは……?」
ライの視線がチェスボードに向かう。黒の勝利に終わった盤上を興味深そうに眺めているのを見て取って、軽く笑みを浮かべながらルルーシュは口を開いた。
「以前、友人と勝負したときのものです」
「貴様はどちらだ?」
「黒になります。なんでしたら、棋譜を並べましょうか?」
白を操ったのはライだった。ルルーシュとライの対局は決まってルルーシュが黒でライが白。チェスは公式ルールで白が先手、黒が後手と決まっているが、自由ルールではその規制もない。トスによって先手後手を決めていると、同じ色ばかりで飽きないか?たまには気分変えてルルーシュが白でライが黒もてばいいじゃんか、と呆れた様子だったのはリヴァルだ。
「興味はあるが時間がない。これでも忙しい身だ」
「知っておりますよ。では、早指しにしますか?」
持ち手五分の早指しならば、普通に対局するより時間も掛からない。持ち手一分の超早指しでもかまわないのだが、折角のライとの対戦。それは少し惜しい。
「いや、持ち時間無制限でいい」
「お時間は大丈夫なのですか?」
先ほど時間がない、と言ったばかりだというのにその言葉。ルルーシュでなくとも怪訝に思うだろう。問い直せば、ライは不機嫌そうに口元を曲げた。
「ふん。言い出したのはあいつだ。どうとでもなる」
あいつ、それが誰を指すのかルルーシュにはわからない。言い出した、というのも謎だ。
だが、皇帝であるライに意見できるような人間であることは想像できて、ルルーシュは名前も知らないその相手を羨ましく思った。この時代、絶対君主制はルルーシュの生きた時代の何倍も根強いだろう。そんな中で皇帝に意見できるものなど、極少数だ。国によっては、いない場所とてある。だからこそ、意見することができるのは、ライの信頼が篤い証だ。
「では、通常対局で。ルールはいかがなさいますか?」
「公式戦に則った方法だ」
「了承しました」
チェスのルールは時代と地域によって細かく異なる。この時代、チェスのルールはどんなものなのか。しかし、心配はルルーシュには必要なかった。
なぜなら、大量の歴史書よりも目立つ場所、それこそ読めといわんばかりに、チェスボードの横にチェスのガイド本が置いてあったのだ。当然、チェスを嗜むものとして興味を引かれないわけがなく、ルルーシュは目を通した。
この時代のルールはもちろん、代表的な戦術も戦略も確り頭に入っている。
「陛下、白と黒どちらをもたれますか?」
「……お前に決めさせてやろう」
公式戦なら、白が先手、黒が後手。それはこの時代においても変わりはない。
暫し考える様子を見せた後に、おもむろに言われた言葉。僅かに目を見開いた、ルルーシュの答えは決まっている。
「では、黒を」
迷うことなく、黒のキングに手を伸ばし持ち上げる。ふっと笑みを零せば、ライも白のキングを手に取った。
「私は白か。いいだろう」
挑戦的な眼差しは、いつかの日のライと被る。もう少し、成長したライの笑みが隣に見えてルルーシュは目を細めた。心が逸る、気持ちが高揚する。二度とないとおもっていた、ライとの対戦。同じライでも、ルルーシュの知るライではないとは、百も承知。それでも。
高ぶった気持ちもそのままに、ルルーシュはキングを対戦前の正位置に置いた。
2010/01/11