覚悟と決意
がしゃん、鈍い音を立てて、ルルーシュの両腕をつないでいた鎖は断ち切られた。ライが手にした剣で切り捨てたのだ。
「……剣で、鎖が切れるものなのか……」
驚きから呟いた言葉は地の口調だった。責められるかと思いきや、ライはさして気に止める様子もなくなんでもないことのようにルルーシュの呟きに答える。
「鎖といえど、脆い箇所はある。そこに衝撃を与えれば断ち切ることなど簡単だ」
いともあっさり言い放ってくれるわけだが、それを万人が出来るはずもない。出来てしまったら、鎖は鎖として意味を成さないのだ。
できる方が異常。しかし、ライとスザクならば言うとおり簡単なのだろう。再度確認して自由に放ったが、いまだ重い鎖のまとわりついた両手を見る。手錠をつなぐ鎖が切られても、がっちりと手首部分には手錠を掛けられたままなのだ。
「とってくれないのですか?」
口調を敬語に戻す。相手は仮にも皇帝陛下。そして、かつてのように友人や恋人ではない。ルルーシュが生きてきた時代以上に、身分に重きが置かれるこの時代で、先ほどのような言葉遣いは命取りだ。
ルルーシュの言葉に、ライはちらりと一瞥しただけに留まった。
「鍵を持っていない」
「持ってこさせればいいでしょう」
「貴様を完全に信用したわけではない」
反論に返された言葉に黙り込む。最もな意見だ。先のやりとり、不評を買うことはあっても信頼されるはずがない。手錠をつなぐ鎖を切ってくれただけでも、随分な譲歩だろう。
「間違えるなよ。鎖を切ったのは、信用したからではない。逃げたければ逃げればいいと思うからだ」
「逃げた方が地獄、と?」
「わかっているならば問題ないな」
始めに兵に見咎められたときに、確信を抱いている。この近くに人の住む集落はない。第一あったとしても、土地勘のないルルーシュにはどうしようもないのだ。
逃げなければそれなりの扱いを受けるが、逃げれば容赦なく切り捨てられる。分かりやすい事実だ。
「聞きたいことは他にもある」
「気が済むまでお付き合いしますよ。なにしろ、私には時間がある」
にこりと笑えば、ライの眉間にしわがよった。先にみせた不敵な笑みのせいで、胡散臭いとでも思われているのかもしれないが、胡散臭い存在であることは仕方がないので軽く肩をすくめる。
一先ず傍にいることが出来る状況はクリアした。さて、これからどうやって信用と信頼をもぎ取ってやろうか。ライがこの野営地から城に戻った後、牢屋にいれられてはたまらない。それでは、傍にいるという約束が果たせない。
だから、ライが城にもどる。それまでがタイムリミット。まずは信頼云々よりも、自分を傍に置くことが以下に有益であるかを理解させたほうがいいだろう。信用はそのあとでいい。
方法は289通りある。ルルーシュが策略を巡らせていると途端に、辺りが騒がしくなった。
ライも変化に気づいているのだろう。眉間のしわをいっそう深めて、身を翻した。ライが外に出るより早く、テントの出口から兵士が慌てた様子で転がり込んでくる。
「陛下!敵兵が攻めてきています!!」
「どこだ。シャラダンにそんな力すでにあるまい」
「はっきりとはわかっておりませんが、恐らくはサイラかとっ」
「この機に乗じたか。甘いな、すぐに私も出る。傷のない兵を全て集めろ」
「はっ」
指示を出すその表情はどこまでも冷静で落ち着いていた。けれど、どこか好戦的な笑みが浮かんでいて、それがルルーシュの不安を駆り立てた。あれは、獲物を見つけた肉食動物の、眼差しだ。殺しを、狩りを楽しむ、獣の笑み。
ぞくりと背中に悪寒が走り、ルルーシュは思わず腰を浮かせた。止めなければ、そう思うのに言葉は喉に絡み付いて出てこない。兵に向き合うライの背は、王のそれで。纏うのは道を塞ぐならば、だれであろうと切り捨てることをいとわない、覇者の空気だ。
ここで声を出せば殺される。本能が叫び、理性が頷く。いまさら命が惜しいとは思わない、ただ死んでしまえばライの傍にいることが叶わない、そのことだけに恐怖する。
ルルーシュは、立ち去るライの後姿を見送ることしか出来なかった。
「くそっ!」
自分以外誰もいなくなったテントの中で、ルルーシュは悪態をついていた。ぐしゃり、苛立ちも露に前髪を掻き揚げる。
ライの過去を詮索しようとは思わなかった。ライも多くは語らなかった。だから、読み間違えていた。過去のライの決意の重さを。
母と妹を守る。
そのためだけに、ライは父である皇帝を簒弑し、腹違いの兄たちを皇位継承争いに見せかけ殺したのだと語った。
それは、ルルーシュのしたことと代わりがなくて。だからこそルルーシュはライのことをわかったつもりでいた。わかった気に、なっていた。
この時代のライは幼い。幼いから、己が優位だと思い込んでいた。幼いからこその、純粋無垢で愚直なまでの真っ直ぐさを見落としていた。
ルルーシュが知っているのは、喪失を経験したライだ。己の全てをかけて守りたいと、願った人を失ったライだ。
この時代のライは違う。守るものがある。守りたいと願う人がいる。だから、僅かな迷いももっていない。人を切り捨て殺すことへの微かな躊躇もありはしない。
覇者の道を行く、己の後ろを振り返らない少年王。そこにどれほどの血が流れ、地獄絵図が描かれ、数多の人々の怨嗟と憎悪が渦巻こうとも、彼は決して躊躇わない。
その、すさまじいまでの覚悟と決意を見せ付けられた。
(はっ。それこそ俺と何が違う)
ルルーシュとて、同じ覚悟と決意をした。
ナナリーのために優しい世界を作る。ゼロとしての覚悟。世界の明日のため、悪意を一身に背負って逝く。悪逆皇帝の謗りを受け、歴史に名を残す。皇帝としての決意。
けれど、違うのだ。ライの背負ったものとルルーシュの背負ってきたものは、似ていて非なるものなのだ。
ルルーシュは義兄であるクロヴィスを殺した。義妹であるユーフフェミアを殺した。父を、母を、直接的ではなかったけれど、殺したのだ。
けれど、ルルーシュは決して殺しに喜びを見出さなかった。兄を殺したときも妹を殺したときも、父も母も、涙を流した。殺してしまった自身を嫌悪した。
ライは、違う。きっと、違う。
あの笑みは、殺しに仄暗い快楽を見出した目だ。敵を殺戮することに、喜びを抱いている眼差しだ。自ら好んで殺すことはないだろう。けれど、殺すことを決めればそこに喜悦を感じるに違いない。
ルルーシュの知るライはいっていた。涙を流すルルーシュを抱きしめて「君は強い」と。あの時は分からなかった意味が、ようやくわかった。
ライは殺すことを喜びとすることで、殺す苦しみから逃れている。
考えてみれば、仕方がないのかもしれない。ライが即位したのが13歳ならば、ライが兄や父、肉親をギアスを使い殺したのはそれ以前となる。幼い子供が、まともな感性を残したままその重さに耐えられるはずがないのだ。
疎んでいても、憎んでいても、肉親は肉親。家族なのだ。殺して、平常でいられるはずがない。17歳のルルーシュですら、クロヴィスを殺したときは吐いたというのに。ルルーシュですら、クロヴィスを殺した一度を除いて直接人を殺したことはない。ギアスをかけて殺すときは自害を命じていたし、ナイトメアは相手の顔は見えないのだ。
けれど、ライは。
父や兄はギアスだったとして。それ以外は。戦場で戦地で、ライはどうやって人を殺してきた。銃も、ナイトメアも存在しないこの時代で。
ルルーシュは知っている。剣に貫かれる感触。剣が肉を裂き、身体にのめり込むあの感覚。それは、殺された側だったけれど、立場が逆なら。殺す、側だったなら。
きっと耐えられない。13歳で、人を切り捨てるなんて、そんなこと。絶えられる、わけがない。
父を殺したスザクが歪んだ正義をもったように、ライもまた歪んでしまったに違いない。
違う人間が背負うものが異なることなど、火を見るより明らかで。
分かっているのに、分かっていたのに、同じであると思っていたかった。愛しているから、全く同じものを背負って同じ物を見ていると思いたかった。それは、本当の愛ではないというのに。
自嘲を口元に刻み、両手を握り合わせる。祈るように目元にあてがって、ルルーシュは目を閉じた。
(どうか、無事で)
傍にいると誓った。
傍にいたいと願った。
だからこうして、ここに居る。約束をしたのは、この時代のライではないけれど。それでもかまわないと思ったがゆえに。
新たな契約を結び、新たな代償を払って、こうして、この場に存在している。
もう一度、覚悟と決意を新たにしよう。
ライが血塗れた覇者の道を歩むというのなら、俺も共に血に濡れよう。
魔王の道を歩んだ俺と、共に歩んでくれたお前の為に。俺がもつ全てをかけて、お前に尽くそう。
ライ、たとえ時代が違っても、この時代のお前が俺を知らずとも
俺は、お前を愛している―――
20010/01/10