狂王と悪逆皇帝




じゃらり、手首をつなぐ鎖の立てる耳障りな音を聞きながら、ルルーシュは小さく吐息を吐き出した。
ブリタニアの名が聞いたのか、フルネームを名乗ったルルーシュは殺されることはなかった。変わりに、鎖で繋がれ、野営地に連行されたのだが。

「ブリタニア皇族に連なるものであることは認めよう。しかし、私の記憶にルルーシュという名のブリタニア皇族直系はいない。傍流ならば、殺す理由もないが、さほど丁重に扱う理由もない」

というのがライの言葉で、手荒に扱われることこそなかったものの、それこそ言葉通り丁重に扱われることもなかった。
逃げないよう鎖で繋がれ、野営地につれてこられたルルーシュは、一先ず兵士の寝所らしき場所に一人放り込まれた。出口では、連行してきた兵士が逃げ出さないように監視している。逃げ出すつもりなど毛頭ないし、そもそも逃げたところで行くあてもないので、無駄な労力だというのは口には出さない。
直系ではない、と断言されたが、庶民出身のマリアンヌが皇妃とはいえルルーシュはれっきとしたブリタニア皇族の直系である。しかも、二ヶ月とはいえ皇帝として君臨もしていた。それを知ったら、ライはどんな顔をするのだろう。
ルルーシュの知るライのように、目を見開いて驚きを露にするのか、それとも先ほどのように眉を寄せ瞳を細めるのか。
とはいえ、ルルーシュが本来存在するのは数百年後の未来の話だ。とてもではないが、話せた内容ではないし、信じてもらえるとも思えない。だから、これはルルーシュの勝手な妄想だ。

(契約は“愛したものと、共に歩むための時間を与える”こと。確かに、契約内容はあっている)

だがしかし、かといって過去の時代に放り出すのはどうなのだろう。
ライがルルーシュの愛した相手で、ライが存在するという点において、なにも間違ってはいないのだが首をかしげるのは当然だと思う。
まぁ、悪逆皇帝を演じたルルーシュは仮に本来の時代で生き返ることが出来たとしても、おおっぴらに生きることは出来ないので、ある意味助かるといえば助かるのだが。
それにしても、なんでもありの世の中だと呆れてしまう。

(ギアス、という力がある時点で、なんでもありといえば、ありだがな)

ギアス自体、人によって発現する力が異なっている。ルルーシュやライのような絶対遵守、シャルルの記憶を書き換える力、マリアンヌの人の心を渡る力、ロロの体感時間を止める力、マオの心を読む力、C.C.の人に愛される力。
ルルーシュが知るだけで、これだけの力があるのだから、中には時をわたる力を持つものもいてよさそうだ。ならば、ギアスを与えるコード保持者が契約のために時代を超える、いわゆるタイムトリップをさせることも、さほどおかしくはないのだろう。
なにしろ、C.C.は他人の記憶を他人にみせることも、マリアンヌと心で会話することも出来ていたのだから。
ああ、本当になんでもありな世の中だ。それでいて、普通に平和に一般人で生きていれば一生知ることはないのだから恐ろしい。
思わず遠い目をしてしまったルルーシュは、こみ上げてきた欠伸を噛み殺した。そういえば、ゼロレクイエムの準備やら、世界を壊す作業に根をつめていてここ最近ろくに寝ていなかった。どうせ死ぬ身だ、死んだ後にいくらでも寝れるさと睡眠をないがしろにしてきたので、相当眠い。予想に反して、死んだ後も起きている現状だから、なおさらだった。
自覚してしまえば、さらに眠い。どうせつながれているだけで、なにもすることはない。ルルーシュの策が動くのは、次にライに会うときだ。それまではなにもすることもないし、なにより肝心のそのときに眠くて頭が動かないなどという事態になったら目も当てられない。
様々な理由を並べ立てて、ルルーシュは自身に眠る許可を出した。





『ルルーシュ』

ゼロレクイエム、その計画の全容を話したルルーシュにライはもの言いたげな眼差しを向けてきた。ルルーシュの名前を呼ぶその声は、深い悲しみが篭っていて、けれど決してライは異を唱えることはなかった。
すまない、と約束をたがえることを詫びるルルーシュに、淡く儚い笑みを浮かべるだけだった。
その声が、表情が、なにより雄弁に訴えていたのに、ルルーシュはライが表立って反対しない、その優しさに漬け込んで全て黙殺した。

ライ、ライ、ライ

誰より俺を理解して、誰より俺を支え続けた、俺の愛しい人。
学生のルルーシュ・ランペルージも皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアも反逆者ゼロも、“俺”も“私”も全てを受け止めて包み込んでくれた、最愛の人。
その相手を、最悪の形で裏切った。
幾臆の謝罪の言葉を口にしても、詫び足りることは決してない。
ライがルルーシュを責めることはないだろう。責められる日は未来永劫来ることはない。それは、なにより確かな確信だ。

ライ、らい、ら、い

もう一度、お前に会えるのならば。再び合間みえることが許されるなら。
結果として、再びゼロレクイエムのような裏切りを重ねることになろうとも、時代を超え歴史を改ざんすることも厭わない、どんな業をも背負うと、言ったなら。

お前は、どんな反応をするのだろうか―――





「!」

がん!と頭に鈍い衝撃が走り、ルルーシュは目を覚ました。眠っていたのだと思い出して、ついで今がどんな状況なのかも思い出し、慌てて意識を覚醒させる。はっきりとした視界に移ったのは、地面に引かれた布と、白い衣から覗く靴。
視線を動かせば、無表情で佇むライがいた。
眠るとき、横になった覚えはないので恐らくライに蹴倒されたのだろう。蹴り起こされた事実に若干憤然とするが、捕虜がのんきに眠りこけていれば蹴りたくもなろう。その心境は理解できるので、不満は面に出さず、鎖につながれているせいで、上手くバランスの取れない身体をなんとか起こした。

「貴様、己の状況がわからないのか」

呆れも含まない冷たい声音。ルルーシュの知るライにはありえないものだ。改めて、記憶喪失の状態で学園で過ごした日々がライにとっていかに穏やかで大切なものだったのかを思い知る。プラス、ミレイの凄さも。
のんびりとそんなことを考えるルルーシュはまだまだ余裕だ。理由は色々あるが、その一つには幼いライに知略で負けるはずがないという確信があるからだった。
ルルーシュと共に過ごしたライならばいざ知らず、正確な年齢こそ知らないものの目の前にいるのは少年だ。少年王の肩書きは伊達ではなく、そこらの子供とは頭の回転の速さや正確さは比較対象にならないだろう。それでも、相手は幼い。
ゼロとして、皇帝として、様々な戦局に対応してきた自分が戦略や知略で負けるなどとは髪の毛の先ほどの可能性もあるとは思っていない。
自意識過剰や、慢心では決してない。それは、事実だ。
言葉を返さないルルーシュに、なにをおもったのかは分からない。変わらない凍てついた声音でライは言葉をつむぐ。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアといったな」

黙然と頷いたルルーシュにライの目元に険が増す。

「そんな人間、ブリタニア皇族にはいない。傍流とて然り」

それはそうだ、この時代にいるはずがない。ルルーシュの名が残るのは、数百年を経た後世の世なのだから。

「私の言葉を、覚えているな」

嘘偽りを述べれば、命はない。
たとえルルーシュにとって偽りのない真実だとしても、ライにとってそうであるとは限らない。
ルルーシュの名前は、この時代に存在しない。それこそが、この時代のライの真実。

「覚悟は問わぬ」

すらり、抜き身の剣が突きつけられる。首筋にあてがわれた冷たい感触。
けれど、これがなんだという。
ルルーシュは知っている。己の命が失われる瞬間を。鋭い刃が心臓を貫いた刹那を。そして、真に恐れるのは自身の命が失われるときではなく、愛しい人の命を失うその時だと。

「私は、嘘偽りを述べておりません」
「この期に及んで、虚言を吐くか」
「私は、捨てられた皇子」

嘘ではない。虚偽ではない。事実として、ルルーシュは捨てられた。父に、母に、世界に捨てられた皇子だ。
喉に突きつけられた剣が、さらに食い込む。ぷつり、と薄い皮が破け、血が一筋流れ出た。
それでも怯むことはない。言葉は止めさせない。

「母は庶民の出。高貴なる血が流れておらぬと差別を受ける日々」

思い出すのは幼き日。
突きつけられる白い眼差し。隠すことなくさらされた悪意。

「母は殺され、妹は自由と視界を失った」

いまでも鮮明に覚えている。血に染まった母と妹。物言わぬ骸となった母の腕の中で恐怖に瞳を見開いた幼子。

「父たる人は守ってはくれなかった。直訴すれば、私は生まれたときから死んでいるといわれた」

その服、その居住、誰が与えたと思っている。
投げつけられた言葉の暴力。生み出したはずの親に生を否定された。

「だから、貴方の中に、世界の中に、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが存在しないことも、道理」

最後の言葉には、僅かな嘘を含めて締めくくる。
生い立ちから、存在が秘匿されていたのだと匂わせる。自ら断言することはない。しなくとも、ライは悟ると分かっているし、断言していなければいずれくる糾弾から逃れることが出来る。
静かに語るルルーシュの言葉に首筋にあてがわれた剣が引かれることはなかった。けれど、それ以上に首に食い込むこともなかった。

「……貴様が生かされた理由を、分かっているのか」

先ほど、すぐに殺されなかった、その理由。明快すぎると、笑みを零す。

「ブリタニア皇族ならば、貴方にとって利用価値があるからだ」
「理解しながら、自ら利用価値を否定するか」

確かに、愚かしい行為だ。
皇族の血が流れている、それはブリタニア属国を治めるライにとって、なによりも大切なキーポイント。
属国であるのに、ブリタニア帝国がライの国を守ることはなかった。自嘲気味に零したライの言葉を覚えていればこそ、さらにルルーシュの皇族としての価値は高くなる。
けれど、それも認めていられればこそ。捨てられた皇子では、価値がない。

「それでも、私は皇族」
「…………」
「認められておらずとも、捨てられたといえども、皇族、ブリタニアに連なるもの。利用価値は、幾らでもあるはずです」

直接政治のカードにできずとも、婉曲に使えば幾らでも使い道はある。利用方法など、数えだせばきりがない。
切り捨ててしまうなら、ブリタニア皇族の血が実際に流れていなくてもかまわないのだ。瞳が紫色、その一点だけで十分すぎる。その一つだけで、DNA鑑定の存在しないこの時代においては、皇族と言い張るに値する。

「私をどう使うかは、貴方次第。もちろん、生かすも殺すも自由」

挑戦的なルルーシュの台詞にそれまで動くことのなかったライの表情が変わる。それは、眉をぴくりと動かすだけの微小なものだったが、感情の変化を表情に引き出せただけでルルーシュにとっては十分な成果だ。

「さぁ、結論を。国内では賢王、国外では狂王と名高い貴方は、私をどう使います?」

人の悪い笑みを浮かべての挑発。ルルーシュの思惑通りにライが動けば、ルルーシュの勝ちだ。
ライの剣を握る手に力が篭る。先ほど以上に流れ出た血が、アッシュフォード学園の黒い襟に侵食し、金の縁部分を赤黒く染めていく。

「面白くないな」

ぼそりと呟かれた言葉と同時に、ルルーシュの首元から剣が引かれた。
そして、次の刹那。

ザクリ

突き刺さる音が響きそうなほどの勢いで、殺気を纏ったライの操る剣はルルーシュの左頬をかすめ、僅かに漆黒の髪を切り裂いた。
つぅ、と涙のように頬を紅い血が伝う。

「だが、貴様は面白い」

身を切り裂くような殺気にすら身じろぎせず、傷つけられてなおライから視線を逸らさないルルーシュを見て、初めてライは口端を吊り上げて笑った。
それは、ルルーシュの望んだ結果。己の思惑通りに運んだ自体と勝利の結果に、ルルーシュは笑みを深くした。








2010/01/09