二人の皇帝




翻る白い衣装。風に靡く長い銀白の髪。鋭い光を称えた青紫の瞳。
そのどれもがルルーシュのよく見知ったライの姿で、そのどれもがルルーシュの知らないライの姿だった。
纏う衣装は、白を貴重に金と蒼で縁取られ、一般兵でないことなど一目瞭然だった。太陽の光に煌く銀白の髪は、前髪こそルルーシュの知る長さと同じだったが、後ろ髪は腰まで伸ばされ首の後ろで一つに括られていた。常に相手を思う心優しい色を宿していた青紫の瞳は、感情の色を綺麗に隠した無機質な硝子玉のようだ。
なによりも、満面の笑みこそ滅多にみせることはなかったが、見ていて安心する微笑を湛えていた表情には、その面影は微塵もなかった。引き結ばれた口元、冷徹な表情。触れれば切れてしまいそうな、氷のごとき雰囲気。人など、なんとも思っていないのだと雄弁に語っているようで。

ルルーシュは、知らない。知るはずがなかった、ライがそこにいた。

驚愕に目を見開くルルーシュを馬上から見下ろすライの瞳は冷たい。ルルーシュが無意識に呼んだ名に、すぅ、と瞳が細められた。
反応を返したのは、ライの登場に一瞬気をとられた兵士のほうだった。

「貴様!陛下を呼び捨てにするとは何事かっ!!」

身体に衝撃が走り、ついで口の中にざりざりとした異物感を感じた。地面に叩き伏せられたのだと、理解するのは意外と早かった。以前に一度、スザクにされた故だろう。
口の中にはいった砂利を吐き出すことは出来ない。そんなことをしようものなら、今度こそ即座に不敬罪で切り捨てられる。そんな雰囲気があった。

「申し訳ありません陛下!」

ルルーシュの頭を片手で押さえつけた兵士が、傍らで頭をたれる。その声音には畏敬と畏怖が入り混じっていて、ルルーシュは目前に見える茶色い地面ににらみつけながら、ある程度状況を把握しつつあった。

(あの服、陛下という呼び方。ここは、過去の時代か?)

かつて、ライが狂王と呼ばれた皇帝であったことはライ自身から聞いて知っている。過去を語るライの表情は苦く、苦しそうでルルーシュは深く追求することはなかった。けれど、ライには秘密で一人文献で調べたことはある。

ブリタニア属国、ヴィスペリア皇国第38代皇帝、ライヴァルディア・アラン・ブリタニア

それが、ライの過去においての肩書き。
世界最高の蔵書量を誇るブリタニア帝国帝都の図書館にすら、文献は殆ど残ってはいなかった。かろうじて分かったのは、ライ自身の言ったとおり第38代皇帝が“狂王”として畏怖を集めていたこと、ブリタニア属国として最も栄えながら、一夜にして国が滅びた不可解さ。その程度だ。
それらのあまりにも非現実的な話から、ヴィスペリア皇国などという国家は存在しなかったとする文献も多かった。
また、ライが戴冠したのは13歳だという。過去において10代での即位というものはあまり珍しくはなかったが、13歳というのは異例の若さだ。通常、皇位継承剣を持つ皇子が15歳以下の場合、宰相が変わりに政をして国を治め、皇子が自治をできるようになってから即位を迎える。
だというのに、ライはそれをよしとしなかった。その理由は容易に想像できる。母と妹を守るためだ。
正当な血筋の皇子ですら、場合によっては政治の主導権を宰相に握られたまま暗殺されてしまうことも珍しくはないのだ。異国の血が混じっているライが政治に発言力を持たなければその末路はあまりに儚い。
それらを踏まえて、先ほどみたライの姿を思い起こす。白馬の上、皇帝の服を纏ったライは腰に剣を下げていた。ライの性格、そして能力から、戦で先陣を切っていただろうことは想像に難くない。
ルルーシュと出逢ったときのライの年齢が17歳。同い年だった。目の前に存在する、ライはいくつだろうか。17歳ではないだろう。纏う雰囲気こそ鋭く刺々しかったが、顔つきは幾分幼かった。15、6歳あたりか。
ならば、ある程度皇帝としての地盤は確りしているはずだ。ライならば、即位から2年もあれば人民の心を捉えるのは良くも悪くも簡単だろう。
今更のことだが、あまりにあっさりこの場が過去の時代だと受け止めている自身に笑みが浮かんだ。
かつてのギアスに出会う前の自分なら、そんな非科学的なことは決して信じなかっただろうに。いや、ギアスを手に入れた後でさえ、信じることはなかったかもしれない。受け入れがたいと、拒否したかもしれない。これほど容易く受け止められたのは、目の前にいるライのおかげだ。
どんなに違っていても、ライがそこにいる。ならば、そこが自分の居場所だと、たとえ時代も立場もなにもかもが異なろうと、胸を張って言えるからだ。

(まぁ“この”ライにとっては、違うだろうが)

なにしろ、相手は自分を知らないのだ。さて、どうやって不審人物から信頼するに値するという評価をもぎ取ろうか。ライの傍にいるには、それは絶対的に必要だ。考えをめぐらせていると、頭上から声が降ってきた。鋭さはあるものの、やはりどこか幼い声音だ。

「貴様、何者だ」

誰何の言葉に、顔を上げようとしてぐいっと地面に押し付けられた。誰の仕業なのかは、分かりやすすぎる。これではライの顔が見れないじゃないか。的外れな部分に憤りつつ、ルルーシュはくぐもった声で答えた。

「私はルルーシュ。巻き込まれたただの小市民です」

先ほどとは違う一人称。無力を装うための“僕”より、知性を感じさせる“私”の方が、ライにはいいと判断したからだ。

「小市民、か。この場所を鑑みて、嘘を吐け」

即座に切り捨てられて、確信を抱く。この近くに、村や町はないのだ。先ほどの兵の言葉もある。ここは一般人が巻き込まれるはずのない場所、なのだろう。

「次に偽りを言えば、その首飛ぶものと心せよ」

慈悲など微塵もない冷徹な言葉だ。けれどルルーシュは笑みを深くする。嘘を吐いた、それを知りながらすぐさま殺さない、それだけでもこの時代において、ライの優しさは十分すぎる。
笑みを隠し、肩を震わせて、怯えた様を装う。そして、意図的に震わせた声音でつづけた。

「では、陛下。私が嘘偽りを述べなければ、私の首は繋がるのでしょうか」
「真実を言えば、その首は飛ぶと?」
「いいえ。私の首を跳ねることは、陛下にとって損害であると、恐れ多くも自負しております」

震える声音、それでもはっきりと告げれば頭を押さえつける力が強くなった。兵士からの無言の圧力だ。けれどそんなものに、一体どれほどの恐怖があるというのだ。精々が、押し付けられた顔が地面にこすれて痛いと思う程度だ。

「ほお。その言葉、嘘ならば、殺してくれと懇願する処罰が待っているぞ」

面白い。隠しもしない響きに、内心でにやりと笑みを浮かべる。ここまでくれば、大丈夫だ。

「覚悟は出来ております」
「ならば、告げてみよ」
「では、顔を上げることをお許しください。万の言葉を並べるよりも、雄弁なる結果がございます」

すでに声に怯えの色はない。震えてさえもいない。ルルーシュの変化に、兵士は戸惑ったようだった。だが、ライの纏う雰囲気は状況を楽しむもので。穏やかなくせに、妙なところで負けん気が強かったり、好戦的だったライ。
昔から変わっていないのだとルルーシュに思わせた。

「ふっ。よかろう」
「陛下!」
「私が良いといったのだ」

咎める声は、隣の兵のもの。すぐさま返ってきたライの高圧的な言葉とさめた眼差しに、萎縮したのが手に取るようにわかった。確かに今のライは恐ろしいだろう。けれど、ルルーシュにとってはライはライだ。恐れる必要など、カケラもありはしない。
兵の手が離れていき、ゆっくりとルルーシュは上体を起こす。顔は最後までうつむけて、体制を整えてからゆるりとあげた。意図せずに出来る、最も効果的な己の見せ方。
ルルーシュの紫水晶の瞳がライを捉えた。
正面から向き合ったライの姿は、やはりどことなく幼い。凛と伸ばされた背筋や、纏う冷涼とした雰囲気が補ってはいるけれど、年齢が足りていないのは明らかだった。

「……なるほど」

ルルーシュの瞳を見据え、ライが唸るように呟いた。
兵士は気づかなかったのか、知らなかったのか。そんなことは、どうでもいい。ライが悟った、それだけが重要だ。
ルルーシュの瞳の色は紫紺。ナナリーの菫色の瞳、ユーフェミアの藤色、コーネリアの赤紫といったように、色の濃さの違いはあれど紫色の瞳はブリタニア皇族に古くから伝わる身体的特徴の一つだ。
現に、薄いとはいえブリタニア皇族の血を引くライの瞳も、青紫だ。日の光のしたでは、青い色の方が目立つが、暗い場所や夜の闇の中では、紫色の輝きを放つ。
だからこそ、ルルーシュの言わんとしたことは明確にライに伝わった。

「ブリタニア皇族に連なるものか」

確信の問いかけには黙然としたまま。真っ直ぐに逸らすことのない目線こそが答え。
ライがその青紫の瞳を細めて、低く問いを重ねる。

「名を名乗れ」

先ほどと、同じでいて違う意味合いの言葉。
間違えることなく受け取って、ルルーシュははっきりと言い切った。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」

それは、この世界には、この時代には存在しない名だ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、この時代から数えて数百年後の皇子の名。いずれ、悪逆皇帝として世界を震撼させる男の名だ。
今その名を名乗ったとしても、そんな人間はありえない。いっそう、不審人物としてのレッテルを深めるだけだ。
理解していながら、あえて本名を名乗ったのはライに知っていてほしかったからだ。自分を知らないライに、自分を知ってほしかった。それは、生死をかけた安全と引き換えにしてもいいと思うほどのルルーシュの願いだ。
ルルーシュ、ライの口が確認するように繰り返す。再びライの口から自分の名が呼ばれる。それは、かつてのような慈愛と愛情の篭ったものでは、ないけれど。見知らぬ他人を呼ぶより酷い、不信感に満ちたものだったけれど。
それでも、それだけで、もういいと思ってしまうほどに、ルルーシュはライを愛していた。







2010/01/07